脚注
- Raymond Queneau, Le Chiendent, Édition publiée sous la direction d’Henri Godard,Gallimard, ≪Bibliothèque de la Pléiade≫, vol.Ⅱ,2002.
以下、この刊本への参照は訳出した引用文の後に頁数を括弧内に示す。また、本論の左ページに参照頁数を記した上で原文を付す。 - le chiendentはイネ科の多年草で、いたるところに根をはびこらせる雑草である。また、“C’est le chiendent !”と言えば、「それが厄介な点だ!」という意味にもなる。
- Queneau, op.cit., pp.222-223.
- 詳しくは以下を参照せよ。
岩松正洋、「読みの慣習と『最小離脱』」、『岡山大学文学部紀要』、28号、1997、pp.145‐157. - Queneau, Technique du roman, Édition publiée sous la direction d’Henri Godard,Gallimard, ≪Bibliothèque de la Pléiade≫, vol.Ⅱ, 2002, p.1239.
- 7-8において、戦争で大尉に昇進したサチュルナンは以下のような手記を書く。
優しい、優しい読者よ、〔…〕右上のページ番号を見て、最終ページの番号と比べてみたまえ、どうだ、読むものはもうそんなに残ってない、そーだろ?(p.233)
- 『はまむぎ』の各章はすべて13セクションから成り立っており、その最終セクションは全文イタリックで表記され、他の12セクションとは違った位置付けをなされている。Voir Ibid., p.1239.
- 7×13=91。7はRaymondあるいはQueneauの字数であり、13は死あるいは実存への回帰の数字であるという。Voir Ibid., p.1238.
- 『はまむぎ』の最初と最後の文は、以下に示すように、まったく同じである。
一人の男の影が浮かび上がった。同時に、何千と。まさに何千もの影があった。 p.3 et 247.
- Voir Frank Dobo, [La petite histoire…du≪chiendent≫], in Raymond Queneau L’Herne, No.29, 1999, pp.324-327.
- 「転倒」はクノーの作品を読むに当たっての重要なキーワードである。例えば、地下鉄に乗れない少女を扱った『地下鉄のザジ』など。この着想に関しては以下を参考にした。
中里まき子、「クノー『地下鉄のザジ』論」、『仏語仏文学研究』、23号、2001、pp.75-98. - ピエール・マシュレ、『文学生産の哲学―サドからフーコーまで―』、藤原書店、1994、p.101(小倉孝誠訳)。
- この経緯に関しては、以下の論文を参考にした。
小幌谷友二、「クノーの『ネオ・フランセ(Néo-Français)』について」、『中大仏文研究』、 30号、1998、pp.65-88。 - イタロ・カルヴィーノ、『なぜ古典を読むのか』、みすず書房、1997、p.294(須賀敦子訳)
- 以下を参照せよ。
ロジェ・カイヨワ、『遊びと人間』、講談社学術文庫、1990、pp.30-81(多田道太郎・塚崎幹夫共訳)。 - 小幌谷友二、前掲書、pp.77-78。
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