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小説のモデル問題についてまじめに考える

高橋文樹 高橋文樹

この投稿は 15年 前に公開されました。いまではもう無効になった内容を含んでいるかもしれないことをご了承ください。

はじめに

先日、文学フリマがありました。破滅派として参加したわけですが、思わぬ出会いがありました。

第七回文学フリマでは、東浩紀さんらが中心となって「ゼロアカ道場」という批評家トーナメントが行われていました。2人1組のチーム戦を行い、たくさん売ったところが勝ちというものです。これはこれとして面白い試みであるし、結果的に文学フリマの来場者数が運営側の予想を超えたという点で大成功だったようです。

僕はそれほど批評論壇に関心を持っていませんが、今回のゼロアカにはものすごく注目していました。それは、大学の同級生である三ツ野陽介くんが登場していたからです。彼が自身のブログエントリー「過去に追われるミツノさん」でも書いている通り、僕と東大仏文の同級生は彼に絶交されてたのです。

さて、前回のエントリでは文学フリマへの思い入れを語ってみたけど、しかし実際には、文フリ参加に向けて、いろいろと懸念していることもある。その懸念とは、「おーい、このゼロアカTシャツ、門下生一〇人のプロフィール写真がプリントされてるよ……」ということではなくて、もう何年も絶交状態にある昔の友人たちとおそらく文フリ会場で顔を合わせることになるであろう、ということなのである。過去に追われるミツノさん

僕と友人たちはこれまでにも、何度か関係の修復を試みていました。仏文の仲間で集まるたびに「三ツ野も呼んでみよう」という感じで電話したりするのですが、繋がったことは一度もなく、ついにある人に仲介を頼んだとき、「彼らとは話したくない」という明確な拒絶の意思を示されていました。

僕は最近も「空気が読めなくてすいません」としか言いようのないミスを頻出しており、人に嫌われない人間だと思ったことは一度もないのですが、三ツ野くんが突きつけた「絶交」という拒絶は意外なほど強く、驚きさえ覚えていました。二十歳過ぎて絶交などということがあるとは、思いもよらなかったわけです。それも、後ほどある人から伝え聞いたところによると、彼が仏文科の友人(ほぼ)全員と絶交したのは、他でもない僕が原因だと彼は言っている。

これはほとんど不条理でさえある事実でした。とはいえそれで反省するでもなく、不条理でもいっか、人生がそうだしね、と考えていたのですが、前掲サイトにて語られている通り、なんとそこには「途中下車」という、僕にとってはじめての著作が関わっていたのです。

途中下車 (幻冬舎文庫 た 28-1)

価格¥503

順位1,627,494位

高橋 文樹

発行幻冬舎

発売日2005 年 8 月 1 日

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僕が第1回幻冬舎NET学生文学賞という、もうすでに存在しない賞(まあ、僕が売れなかったからなんですが)を穫って、明確に職業作家への険しい道を進み始めた頃、彼は後述する理由を契機に絶交を決意していくようになったのでした。

この友情物語は多分に誤解を含んでいるけれども、創作者たらんとする今の僕にとって重要な問いを持っていると思ったので、彼の誤解を解くというよりは、自分でよく考えるためにも長々と書きたいと思います。

途中下車の頃

さて、三ツ野くんではなく、当時のように「三ツ野」と呼ぶことにしてと……

まずはこれから誤解を解く準備をするという意味でも、三ツ野がどんな風にして僕たち仏文科の友人と絶交を決意するに至ったかを引用する。

問題なのは、この主人公「ぼく」の大学の友人として、「陽介」という名前の童貞の文学青年が登場し、冒頭の合コンシーンで痛い言動を繰り返すことなのである。ちなみにわたくし、三ツ野陽介と申します。

百歩譲って、それだけならまだ許せる。しかし、この合コンシーン以来、出番のなかった脇役の「陽介」くんは、「ぼく」が妹の「理名」と近親相姦に足を踏み入れた終盤のクライマックス直後に再び召還され、「実は昨日、うちの陽介が亡くなったんです」という具合に、なんと自殺してしまうのである。いくら青春ドラマに「友人の自殺」が欠かせないからと言って、そこまでやるかと。

僕はこれを「ゾラ−セザンヌ問題」と呼んでいる。つまり、一九世紀フランスの作家ゾラは、友人で画家のセザンヌをモデルにして小説を書いたのだが、その作品の中で画家は夢破れて自殺してしまう。この小説を読んで傷ついたセザンヌは以後、ゾラと絶交したという。

それで僕もセザンヌにならって、高橋くんとすぐに絶交したかというと、実はそうでもなくて、「小説の印税が入ったから」とか言われて、飲み屋で高橋くんにおごられていた記憶もある。

しかし、それでも一応、「あの小説の終盤で、陽介という人物が自殺してしまうのはいかがなものか?」と彼に直接抗議したことはあった。そのときの彼の返答は、はなはだ要領を得ないもので、「そりゃあ、読者から、もっと幸せな結末にして欲しかったという感想をもらうことはあるよ」みたいなものだった。

ん? なんか僕の抗議が、思い入れのあるキャラクターにハッピーエンドを望むファン心理みたいなものだと勘違いしてないか? っていうか、あの「陽介」くんのモデルが僕だというのは、ただの自意識過剰なのか? でも、あの小説に出てくる他の「大学の友人」にも、それぞれモデルがいることは、僕にはよく分かることであるし……。過去に追われるミツノさん

彼が言うとおり「ゾラ-セザンヌ問題」は半分当たっていて、半分外れている。

  1. 半分当たっているというのは、件の登場人物である「宇賀神陽介」のモデルが三ツ野陽介ではなく、別の陽介であること(三ツ野は彼のことを知らない-本郷には来なかったからだ)。
  2. もう半分は、確かに僕は身の回りの人間をモデルにして小説を書くことが多々あること。

彼が言う抗議の場面というのは、覚えがある。四谷だったか、西新宿だったか忘れたけれど、とにかく「魚や一丁」で僕は「途中下車」について「あんな風に書かれたくなかったよ」と抗議をされ、面食らったのだった。

僕が「宇賀神陽介」という人物を作中で自殺させたのは、それなりに理由があった。これに関しては彼が「途中下車」に加えた批評(?)に応える形で後述する。

僕は彼を「三ツ野」と呼んでいたから、彼が暗に前提としていたモデル問題に関する意識などサラサラなかった。彼の抗議は「文系大学院生がみんな自殺するみたいに暗く書いてほしくなかった」というように聞こえた。なぜこいつはいきなり文学青年代表みたいな顔をして抗議しているんだ? 純粋に、そう思った。

当時から東浩紀に傾倒していた三ツ野には、文学青年というよりも「批評ヲタ」といった印象を持っていた。当時の仏文にはもっと泥臭い文学青年がいて、畳張りの下宿で本だけに囲まれて暮らしていたりとか、緑罫のB5原稿用紙に書いた詩を朗読したりとか、化石のような学生がいた。そんな東大仏文にあって、モーニング娘や東浩紀やNAMの話をする三ツ野のことを、僕は文学青年だと思わなかった。後に本郷の仏文科ではなく、駒場の教養に進んだことからも、その確信は強まった。

彼が意識するほど、「トーダイ」は一枚岩ではなかった。もっと早くそこから出て行く人もいたし、出て行かざるを得ない人もいた。話もあまり通じなかった。そういう中で、みんななんとか対話を続けていた。

「批評ヲタ」であるはずの三ツ野が、「作家たるべき人間は書く行為にモラルがなければいけない」と熱弁を奮う。僕にはまったく理解ができなかった。仏文科の、とりわけ僕らの周囲では創作は実に粗朴に崇高だと思われていた気がする。創作と批評の優劣に関する議論さえあった。馬鹿の輪に加わるのが嫌だったのか、それとも単にシャイなのか、ともかく、そうした古色蒼然とした議論とは距離を置いていたはずの三ツ野が、文学青年代表のような顔をしている。「構造」や「シミュラークル」ではなく、「書くことの倫理」について批判している。ぼくは”ラーメンサラダ”を食べながら、変な義憤もあったもんだ、と訝っていた。三ツ野は宇賀神の側にいないのに、と。

しかし、それでも一応、「あの小説の終盤で、陽介という人物が自殺してしまうのはいかがなものか?」と彼に直接抗議したことはあった。そのときの彼 の返答は、はなはだ要領を得ないもので、「そりゃあ、読者から、もっと幸せな結末にして欲しかったという感想をもらうことはあるよ」みたいなものだった。

ん? なんか僕の抗議が、思い入れのあるキャラクターにハッピーエンドを望むファン心理みたいなものだと勘違いしてないか? っていうか、あの「陽 介」くんのモデルが僕だというのは、ただの自意識過剰なのか? でも、あの小説に出てくる他の「大学の友人」にも、それぞれモデルがいることは、僕にはよ く分かることであるし……。過去に追われるミツノさん

ここで引用されているとおりならば、僕はよっぽど愚劣だが、彼は「陽介という人物が」とは言わなかった。明確に「三ツ野陽介をモデルにして宇賀神陽介を書くな!」とは言わなかったのだ。

今でも多分そうだと思うけれど、彼はおしゃべりだが、口下手だった(批評家=パネリストではないから、これは別に批評家としての彼をくさして言うわけじゃない)。今何を議論しているのか、僕達は共有しないまま議論したわけだ。

僕が話をマジメに聞こうとしなかった、ということもあったかもしれない。

「途中下車」刊行当時、その内容にも関わらず、周囲の反応はおおむね好意的だった。が、もちろん批判をしてくる人はいる。特に文学に関して「おしゃべり」な人ほど批判の矛先が鋭く、「こいつらはきっと誉めちゃくれないだろうな」という予想は100%的中していた。

若くして本を出すとは、そういうことだ。大学在学中、それも文学部、さらに東大の仏文科で、しかも小説を出すとは。売れても売れなくても、その類のことは起きる。たぶん、売れたらもっとたくさんの友達を失っていただろう。それでも別に構わなかったが。

受賞当時、「おめでとう」の一言も言ってくれることはなく、「途中下車」について開口一番、「宇賀神の描かれ方」についてさして一貫しているとも思えない抗議をしてくる三ツ野も、そういう批判者の一人に見えた。ミツノータス、おまえもか。

なので、僕は三ツ野が問題にしたような愚劣な返答をした。議論するのも面倒だった。はいはい、高度に構造化されたクラインの壷的小説が書けなくてすいませんね、と。バルザックがあれほど沢山の小説を書いた後に、駄作を増やして悪かったですね、と。批評家きどりのクリシェには心底うんざりしていた。だったらお前らが書けよ、と思っていた(これは今も思っている)。

それきり絶交、とならなかったのは、三ツ野自身も書いているとおりだ。

その後も何度か話した。チャットをしていると、三ツ野は小説を書くと言い出した。次の群像に出す、と。彼は高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』や島田雅彦『天国が降ってくる』を挙げながら、新宿を舞台にした教養小説(ビルドゥングス・ロマン)を書くと言った。

「君が偉いのは、ゲシャ〔注:「途中下車」のこと〕を完成させたことだ」

小説はいかにあるべきか、ということを挙げながら、色々と「途中下車」を批判した後(あれは批評だったのかもしれない)、彼はそんなことをチャットに書き込んだ。もっと違った表現だったかもしれない。三ツ野が文学者として「途中下車を書いた高橋文樹」を誉めたのは、たぶんそれだけだったと思う。周囲にはもっと嫌なことを言う奴もいたから、まあ、ずいぶんマシな方だろう。

とにかく、その後、決定的な事件があって、三ツ野とは一切連絡がとれなくなった。僕はずっとその決定的な事件(といっても、本当に下らない”厨2″的な事件なのだが)を絶交の原因だと思っていたから、その事件を起こした当事者に向かって「おまえちょっとやりすぎだぞ」などとたしなめたり、意図せずして傍観者を決め込んでいた。今回ゼロアカで三ツ野が情報発信をするまで、このモデル問題に気づかなかった。

途中下車の孕むモデル問題について

三ツ野が問題としている「宇賀神陽介」という登場人物をなぜ書いたかについて、ちょっと説明したいと思う。自分で解説するのもバカげた話だが、モデル問題とあらば避けては通れないだろう。

まず、宇賀神陽介のキャラクターについて、僕が実際にモデルを想定して書いた点を箇条書きにする。あくまで自己申告なので、隠蔽の可能性が0だなとど言い切る心算はない。

  • 合コンで文学の話をするなどの「イタい」童貞文学青年
  • 月に本代が5万円
  • 二子玉川に家がある
  • 家庭環境に問題がある

この一つ一つについて典拠を示していこう。

合コンでイタい童貞文学青年
まず、合コンで「イタい」発言をするということ自体が、三ツ野にオリジナルな個性ではなかった。合コンでは「大学で何やってるの?」という話が出ることも当然あるし、その流れで文学の話などをすることも多かったように思う。毎度毎度イタい感じに受け止められるかというと、そうでもなく、時には面白がられることもあった。「東大男子」と合コンをするときに、「他大女子」が何を求めているか、という単純な想像力を働かせればいい。誰も彼もがイケメンのエグザイル・リスナーを求めているわけではない。「趣味は人間観察です」などとのたまう女子は、東大男子がさぞ興味深いだろう。夏目漱石を引用する宇賀神の姿がそれほど悪意のある描写だったろうか。これは僕の文体と筆力の問題かもしれないが。ちなみに、合コンの場で漱石の言葉を引用したのは他ならぬ僕自身であり、そんなに悪意をもって受け止められなかったと思う。たまたま三ツ野がそういうことをしたことがあったかどうかは知らないし、単に僕がKYすぎて気づかなかっただけなのかもしれない。あと、「途中下車」の年齢設定は明らかに東大の駒場時代(1-2年生&僕と三ツ野が本郷で出会う前)で、その学年の東大生は童貞が多かった。僕は大学に入学したとき、昔に読んだPOPEYEの「大学別入学時非童貞率」という記事で東大が60%だったことに違和感を覚えており、身の回りでリサーチしたのだが、28人のうち約90%が童貞だった。
本代が5万
また、月に本代が5万円というのは、これまた三ツ野とは別の友人である。ものすごい読書家で、現在のブログ書評内ではたくさんの人が読んでいるはずだ(と言ってしまうのもゾラ-セザンヌ問題的にリスキーだが)。フーコーの「言葉と物」を一時間に100ページぐらい読んでいた。「本代が月5万」というのは僕が大学に入ってすごく衝撃を受けたことの一つだったので、宇賀神のエピソードの一つとして拝借した。彼が「途中下車」に関して「言いたいことは山ほどあるけどさ」と言ったのは、モデル問題だったのかもしれない。
二子玉川在住
当時、二子玉川に住んでいたのはこれまた三ツ野ではない友人である。教育格差というものがずいぶん前から言われているけれど、その言葉を「問題」として知るまでもなく、東大には良家の子弟が多いことは明らかだった。親の職業もいわゆる大企業や官公庁が多かったし、家族に東大生がいるということも珍しくなかった。僕は直木賞作家の息子だということで、誤解されることがたまにあるのだが、裕福な子供時代を過ごしていないし、小中高と公立だ。東大生のアッパーミドル感は「二子玉川に住んでいて、中高一貫校出身」という友人の生い立ちに象徴されているように思えた。そういえば、彼の出身校は三ツ野と一緒だったっけ。
家庭環境
家庭環境に問題があるという点。これが今回この長ったらしい記事を書くにあたって一番重要なのだが、宇賀神陽介の暗い生い立ちのモデルとなるのは、この別の陽介である。人物造形は似ても似つかないが、家庭環境だけはこの陽介から借りた。「途中下車」を書いた頃には彼と音信不通になっていて、彼がどう思っているのかはわからない。

今でも僕は不思議なのだが、なぜ三ツ野陽介は宇賀神陽介という登場人物を読んだときに、あれほど強い確信をもって「自分がモデルだ」と思ったのだろう。名前以外に根拠はあったのだろうか。

なんにせよ、一緒だったのはよくある「陽介」という名前だけであり(ちなみに、僕の親族にもいる)、端的に言って、名前を陽介としなければ、三ツ野が傷つくこともなかった。彼が何年も僕に恨みを抱き続けることはなかった。僕は宇賀神の名前を「陽一」とか「ヨースケ」とかにすればよかった……

さて、三ツ野の取り上げたモデル問題について端的にまとめるとこうなる。

「それ、勘違いなんだ。でも、不快にさせてゴメンね。早く言ってくれたらよかったのに」

しかし、彼が僕を批判している理由のもう半分はまだ有効だ。実際の知人をモデルにするというのは事実であり、危険な行為であるかもしれないが、モデルを設定することはおそらく99%の作家がやっているだろうことであり、僕はそのことに対してどのように責任を取るべきか、わからないでいる。

O君への手紙

現在、「途中下車」はかろうじて幻冬舍文庫で手に入れることができるが、現在の形になるまで二回書き直されている。ちゃんと奥付に断りを入れてはあるが、 宮沢賢治ほど偉大な文学者ではないので、誰も気に留めていないというだけの話だ。以下に加筆・訂正履歴を書く。ちなみに、小説を直すときに加筆しかしない ということはあり得ないので、細かに修正した点もあるが、要点のみ記す。

  1. 受賞時(2001/3):「途中下車」は120枚程度だった。ネットで投票対象となり、村上龍氏や唯川恵氏らに誉めていただいたのは、これのことである。この時、まだ宇賀神は死ななかった。はじめの合コンぐらいしか登場しなかったはずだ。
  2. 単行本発刊時(2001/7): 「途中下車」は70枚ほど加筆・訂正された。これは僕がそうさせて欲しいといったのだ。各社編集方針というのはあるだろうが、今のように「新人賞受賞作を 1000円のペラペラ本で」というメソッドが業界内で確立していなかったのか、割と歓迎された。そこで僕は宇賀神を自殺させるための長い一章を書き加えた。
  3. 文庫化時(2005/8):「途中下車」は50枚ほど加筆・訂正された。あらすじにはほとんど変化がなく、細かな修正が大半だったが、小説の印象としてはかなり変わるよう訂正しながら進めた。それまで物語の背景に行ってしまいがちだったが、そもそも「ロリータ」を意識して書いたわけで、作品の通低音を救い上げようと苦心した。そのほとんどの労力は、宇賀神の死を際立てるため、そして「ぼく」の物語が宇賀神の生き方にそっと重なるように費やされている。もちろん、この苦心は誰にも評価されていないから、意味なかったのかもしれないし、単に失敗したのかもしれない。この頃は「暗殺者に対してピアノを弾いて抵抗する」という類の卓抜なユーモアも思いつかなかった。

上の改訂履歴を読んで、「薄っぺらい本を水増しするために宇賀神を殺したんだな」と思う向きもあるだろう。実際に、三ツ野はこう評している。

百歩譲って、それだけならまだ許せる。しかし、この合コンシーン以来、出番のなかった脇役の「陽介」くんは、「ぼく」が妹の「理名」と近親相姦に足を踏み 入れた終盤のクライマックス直後に再び召還され、「実は昨日、うちの陽介が亡くなったんです」という具合に、なんと自殺してしまうのである。いくら青春ド ラマに「友人の自殺」が欠かせないからと言って、そこまでやるかと。過去に追われるミツノさん

「途中下車」が「友人の自殺」を必要とするような、ベタベタの「青春ドラマ」であるという評が不当だと思わない。三ツ野がそう読んだだろうことは、「僕だったら「理名」でも「麗奈」でもなく「涼子」を採用しただろうけど」という一節からもわかる(そもそも「涼子」では「出会いの偶然が成り立たないのだが。これがあの有名な高橋-田中論争か?)。

ただ、僕が必要としたのは「青春ドラマ」のドラマトゥルギーそのものではなく、「青春ドラマ」的にベタであることだった。いくら僕でも、「理名」がアイドルの「内山理名」から、「麗奈」が「田中麗奈」から取られたことにみんなが気づかないと思いほどバカではなく、ちゃんとみんなが気づくようにそのままの表記にしたわけである。

幻冬舍NET学生文学賞はその特性から、掲示板が公開されて、誰でも意見を書き込めるようになっていた(ちなみに、今Web業界に就職して業界標準価格などを知ってみると、幻冬舍はちゃんと本腰を入れてあの賞やっていたんだと思う)。僕はネット投票の段階で一位だったのだけれども、掲示板投稿者の中には「アハッとか笑う女はいない」とか、「アイドルから名前取るなんてイタい」という類の、ある意味ピュアな書き込みが散見された。

「これはまったくもって伝わっていない!」と感じた僕は、受賞後、加筆を申し出た。僕が「途中下車」に込めようとした文学的意義(と、あえて言う)は、主人公が大文字の文学から出て行って、「妹とやっちゃったお兄ちゃん」という陳腐の十字架を背負って生きる決意する小説を書くだけでは伝わらないのだ。大文字の文学を象徴する人物に死んでもらわなければ駄目なのだ。

他にうまい方法があったらそうしただろう。だが、当時は「あえてベタに死ぬ」という方法以外は思いつかなかった。宇賀神が最後に残したものが「陳腐な自由詩」と「エリュアールの引用」でしかなかったこと、彼が死の代償に手に入れようとしたものが「自由」でしかなかったということ。そして、「ぼく」はその後に陳腐の十字架を背負って生きる決意をする。そんな小説にするために、宇賀神は自殺させられたのだった。

「2001年に決断主義とかいって(wr」とか「ちょ、今時そのサバイブ感wwww」という反応〔©宇野常寛〕を呼び起こしそうな創作秘話だが、今でも間違っているとは思っていない。

と、自作について恥ずかしげもなく解説しまくったわけだが、モデルとなったO君の名前をそのまま使った理由は、当人への目配せのようなものだった。「O君がこれを読んで、気づいてくれたらいいな」と無邪気に思っていたわけである。クラス名簿を見て実家にまで電話したが、連絡は取れなかったO君と、小説で繋がることがある。僕が処女作に込めた色んな思いの一つがそれだった。

結果的に、O君が傷ついたのかどうかは知らない。彼は僕が「途中下車」を書くずっと前に、姿を消した。大学へも来なくなった。どこかで読んで怒っているのかもしれないし、もしかしたら、死んでいるのかもしれない。彼にはそう思わせる雰囲気があった。彼が眠っている友人のアゴをライターで燃やしたとき、そう感じた。

書くことの倫理は安全運転なのか

書いても傷つかない人もいる。そして、傷つけない書き方がある。思わぬところで傷つけることもある。あと、死んでいたら傷つかないし、書かれた人が読まなかったら傷つかない。また、そもそもモデルが存在することを隠蔽することだってできる。

書くことは車の運転に似ているのだけれども、どんな態度を取ったらいいのか、悩むところだ。仮に僕がどれだけ真剣な想いを込めて書こうが、そんなものは関係ないわけで、読む側に準備がなければ怪我をする。

受賞作「アウレリャーノがやってくる」(『新潮』 2007年11月号)を読んでみると、『途中下車』の頃とはずいぶん作風が変わったなと感じたけど、身の回りの人間をモデルに登場人物を造型する傾向は昔と変わっていないようだった。つまりそのモデルが「破滅派」なわけで、「危ない危ない。あのまま彼らと仲良くして『破滅派』に入っていたら、また自殺させられるところだった」と僕は胸をなで下ろしたのである。過去に追われるミツノさん

『アウレリャーノ』に関しては「アマネヒト以外はすべて実在する」ことに意味があった。個人的には「実際に存在するWeb同人誌を題材にした小説が新人賞を取る」ということはものすごい大事件だったし、はっきりいって、そういう小説を一つでも持っている同人誌はとてつもなく幸福だとさえ思ったのだが、世間ではそうではなかったようだ。自分のブログでも書いたが、Web空間では大したことではなかったようだし、文壇でも大事件にはならなかった。我ながら読みが甘すぎて、幸福な晩年を迎えるとしか思えない。

もちろん、『アウレリャーノ』を書くときは、読んだ破滅派同人が傷つかないように気をつけてはいた。あまり悪くかかれている人はいないし、まあ、大人の事情でいえば、出版しても差し止めにならない程度にはなっているだろう。もしかしたら傷ついた人もいたのかもしれないが、破滅派のためを思って涙を飲んでくれたのかもしれない。

が、結局のところ、それは見事に安全運転をしたということでしかない。

問題は、僕のような人間がどれだけ書くことの「権力」に自覚的になれるかということと、そして、「それを遵守したところではたしていい作家になれるのかという疑問を持っているからどうせ『権力』をふりかざすんじゃないか」という問いである。

作家はとかく倫理を問われるというのは常日頃感じる。が、人格完成を目指す私小説作家になることも、芸として確立してしまっている露悪的私小説作家になることも、等しく今更感が漂うし、文学のふるさとにも戻れない。人畜無害な小説を書いて、無邪気な「職業作家」でいることもよしとしない。

結局のところ、作品で見せるしかなく、僕はとっとと受賞第一作を「新潮」誌上に発表すればいいわけだ。できれば「書くことの倫理」についてこのブログである程度の答えを出したかったが、無理でした。

なんにせよ、三ツ野が突然「途中下車」に関して言及したことはよかった。それはATフィールドを張っていたシンジ君が外に出てきたというだけのことではなく、三ツ野がゼロアカを勝ち抜いたことで、遠慮なく対等な立場で意見を交わすことができるためである。自分のブログを立ち上げた苦労が、今この瞬間に報われた気がする。


追伸。以下は私信です。

 

 

三ツ野へ。とりあえず、第四関門復活できて、おめでとう。僕はゼロアカの松平さんフランス乞食さんが破滅派に言及していたということ以外は何も知らないので、君が勝てば嬉しい。他の人が勝っても、「へえ、そうなんだ、面白そうだったら読んでみよう」としか思わないから。君の本が出たら、つまらなくても読むだろう。君が僕にそうしてくれたように。

そして、今回は破滅派お買い上げありがとう。でも、三号を読んだら君にまた絶交されるかもしれない。トッチィ・メルはアイツだよ。君は「トッチィ・メル」という偽名を卑怯だと思うかもしれないし、掲載許可を出しといてなんだが、僕もそう思う。だが、その偽名こそ彼が作家になれなかった証左だと思って許してやってほしい。才能があっても作家にはなれないということが、本当にあるんだよ。そういう奴は何人もいた。そして、破滅派はそういう人のための場所でもある。「自分が破滅派に客を呼べるようになったら」なんてセコいことは考えてくれなくてもいい。

あと、ついでだが、もし東浩紀氏が間違って破滅派三号を読んで怒るようなことがあったら、代わりに謝っておいてくれ。僕はこのたびはじめて東氏のポータルサイトを見たが、トップページの写真を見て、トッチィ・メルの文章に怒る人なのか、それともすべてはネタと受け流す人なのか、それとも<SELECT * FROM otaku WHERE category=’moe’;>というデータベースな人なのか、よくわからなかった。

そして、最後に。「いじめのような扱いを受けた」なんて恥知らずなことはもう言うな。自分は人を傷付けていなかったなんて、彼らの生き様を否定しなかったなんて、もう二度と思うな。「書くことの倫理」について、語ったんだから。

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