第二章 レーモン・クノーの個人的な理由
もともとシュルレアリスム運動に参加していたクノーは、1920年代にいくつかの詩篇を機関紙へ発表していた。そのことを念頭に入れて、次に引用する部分に注目してみたい。エティエンヌの息子テオと、居候の小人べべ・トゥートゥーの会話である。
「おまえが詩を書いてるって賭けてもいいぜ」
「この夏から書き始めたんです」テオは赤くなって答える。「でも今までで、一行しか書いていないんですよ」
「どんなだ?」
「わが人生には謎が、わが魂には秘密が」
べべ・トゥートゥーは指で数える。
「でも、坊主、おまえの詩句は間違ってるぞ」
「何だってんです? どうしようもないでしょ。これは十三音綴の詩、それだけですよ。なんで詩句が十二音綴なんですか? 馬鹿げてますよ。僕は自分の詩にもう一音綴加える。僕にはその権利があるんです」(p.211)
小説の一節を取り上げて、それを作者の所信表明と取るのは邪道かもしれない。だが、詩人でもあったクノーがこのような文章を書くのは、必ずしも無垢な心からだけではないはずだ。事実、このようなアレクサンドラン(フランスで最も格調高いとされる12音綴の詩形)に対する挑戦的言辞はシュルレアリスムにも繋がるものである。
とはいえ、クノーをシュルレアリスムで括ることはできない。なぜなら、1929年にはアンドレ・ブルトンと袂を別っているからである。そういった経緯からクノーのある側面が浮かび上がってくる。正統の「文学」でもなく、反「文学」としてのシュルレアリスムでもなく――クノーはそのような「二重の制限」を抱えていたのではないだろうか。これはあくまで推測の域を出ないが、1933年に出版された『はまむぎ』が単なる一小説家の処女作であってはならないという意図をクノーが持っていたのは、まず間違いないだろう。友人フランク・ドボの述懐10を見るだけだと、あたかも簡単に書いたかのような印象を受けるが、小説はたまたま生まれるものではないのだ。では、クノーは「二重の制限」をどのようにして脱しようとしていたのだろうか?
1)レアリスムの向こう側へ
上述したような理由から、クノーには「二重の制限」が課されていた。一つはフロベールやバルザックのような「文学」を(さらにはジッドやプルーストさえも)克服すること、そして、もう一つはその反動として生まれたシュルレアリスムを克服することである。そのような制限の中でクノーが選んだものが、まさに本論の前章(1)で取り上げた「反レアリスム的態度」なのである。もちろん、現実には起こり得ないことを適当に書けば「反レアリスム」になるかというと、そんなわけはない。それではできの悪いシュルレアリスムになってしまうからだ。クノーはそういったダブルバインドをどのようにして克服しようとしたのだろうか?
繰り返しになるが、二、三の例外を除けば、『はまむぎ』は1章から6章に至るまでは大変「もっともらしい」構成を持っている。それがまるで、20世紀初頭のパリで繰り広げられる事件であるかのような印象を与えるのだ。ナルサンスがエティエンヌの息子テオを殺害しようとする計画、トープ爺さんの存在しない財産をめぐる偽装結婚劇、主な筋となるその二つのドタバタ劇も十分に「レアリスム」の範疇に入る。だが、その「もっともらしさ」は、読者にそのような事件が起こりうるという確信を抱かせるために用意されたものではないのだ。
事実、木で首をくくるのは、テオではなくナルサンスであり、偽装結婚の直後に死んでしまうのは、財産を持っている(と周りから思われている)トープ爺さんではなくて若い花嫁のエルネスティーヌである。
つまり、「もっともらしさ」はこのような「転倒」11をより壮大なものにするためにあると言っても過言ではない(なお、「転倒」を口語訳すれば、「ズッコケ」である)。そして、『はまむぎ』中でもっとも重大な「転倒」が、7章に起こるフランス対エトルリアの戦争である。「戦争」という言葉が冗談にならない深刻な響きを持っていた1930年代において、クノーはこのように戦争を終わらせる。
何十年も経ったが、戦争は終わっていなかった。当然、もはやたくさんの人は生き残っておらず、その結果、エティエンヌは最終的に元帥になり、サチュルナンも同様であった。二人は八人からなる軍隊と一緒にカランタンの前で、歳を取ってミシズ・オーリニとなった女王を含む三十人からなるエトルリア軍に抵抗していた。ある晩、ゴール軍(なぜなら時代と共にフランスはゴールまで後退していたから)が空き地の真ん中で大きな焚き火を囲んで寝ていたところ、一人のずる賢いエトルリア人が、夢を見ている軍隊の武器をパクりにやってきた。翌朝、彼らはもう降伏するしかなかった。戦争は終わった。(p.243)
ミシズ・オーリニとは、フランスで産婆をやっていたはずのクロシュ夫人である。なぜ彼女がエトルリアの女王になっているのか。また、なぜ銀行員と門番が元帥になれるのか。全部で八人の軍隊とは何なのか。寝ている最中に武器をパクられる
軍隊とは何なのか。疑問は尽きないが、その一つ一つに明確な答えを出すことはあまり有益ではない。こういう時はただ笑えばいいのである。それこそがクノーの狙った効果であり、「反レアリスム的態度」なのだ。このように壮大な「転倒」で小説が終わることを許せない誠実な読者を除いて、この7章は相当な破壊力を持っている。
なお、その「笑い」は1935年10月にムッソリーニがエチオピア侵略を開始した時に、無垢なものではなくなった。現実に後押しされる形で、「転倒」に苦味が加わることになってしまうのである。
2)哲学の口語訳
本論の前章(2)で取り上げたように、哲学は『はまむぎ』の中で一つの重要な要素となっているが、クノーの生涯を見ればそれはごく自然なことに思える。哲学の学士号を持ち、1933年から1939年にかけてはパリ高等法院で行われたアレクサンドル・コジェーヴによる『ヘーゲル読解入門』に友人のジョルジュ・バタイユらと共に出席している(後年にはその講義録の出版に携わっている)。クノーは終始哲学に興味を持ち続けていた。だが、小説はあくまで小説であり、哲学を盛り込む必然性などどこにもない。むしろ、難解な哲学を盛り込むことによって、ある種の読者を遠ざけてしまう可能性は多分にあった。哲学が好きだから哲学的小説を書く、それは心情として理解できても、手放しの賛同を得られるものでは決してない。
では、クノーがそこに盛り込んだ哲学はどのようなものであったのだろうか? クノー自身が目指したものは、デカルトの『方法序説』の口語訳であるが、彼は後年の発言でそれが失敗に終わったことを認めている。したがって、『はまむぎ』中で展開されている哲学はデカルトのそれとは少々異なる。哲学的言説のみで成り立つ最後のセクション6-13を例として挙げてみよう。
存在はあり、非存在はない。
存在はなく、非存在はある。
存在はあり、非存在もある。
存在はなく、非存在もない。
これらすべては真理のある側面を明らかにしています。だが、全部合わせたとしても、その四つは全体を明らかにしません。なぜなら、可能な公式は四つしかないと認めることは、まず第一に、制限を認めることになり、そして第二に、全体が問題となっている時に正当ではないと言ったばかりであるところの矛盾原理を、正当なものと認めることになるのです。したがって、真理はいまだ彼方にあるのです。(p.216)
これはエティエンヌと同じく、『はまむぎ』中で特権的な地位を占める(「主人公」という言葉は不適切だろう)サチュルナンの言葉である。『真理はいまだ彼方にあるのです』という態度は、デカルトと比べてもはるかに懐疑的で、どちらかと言えば、フッサールの現象学に近い。だが、存在を認識するための方法が明示されているわけではなく、お茶を濁した感は否めない。そして、さらにまずいことに、『はまむぎ』におけるこうした認識の哲学は、その作品世界においてさえ、独り善がりとなっており、他者には決して伝わることはない。それはサチュルナンの発言を聞いたナルサンスの態度を見れば分かる。
「あのですね」ナルサンスはあくびをしながら言う。「あんたは僕に神さんの話でもするつもりじゃないでしょうね?」(p.216)
確かにナルサンスは芸術家で、その類の話に興味を持たないのも分かるが、こういった反応はナルサンスに限った話ではない。エティエンヌも同様に、ピエールに対して哲学を語ったところ、このように切り返される。
「あなたは形而上学において、大きな進歩を遂げましたね」ピエールが言う。(p.124)
なんという冷笑的な態度だろう。このように、『はまむぎ』において、哲学は登場人物達から良い待遇を得ているわけではないのだ。多彩な登場人物の登場するこの小説において、他者の賛同を得られない哲学は、まるで失敗したかのような印象を与える。したがって、哲学は『はまむぎ』において何度も言及されるにもかかわらず、ジャン・ポール・サルトルの『嘔吐』におけるような重要性を持っていない。
だが、ここで注目すべきは、『はまむぎ』の哲学が作中で重要な位置を占めていないことではなく、クノーが『はまむぎ』を『方法序説』を口語訳したものとして完成させようとしていた点である。そもそも、本当に哲学について知ろうと思う人間は、デカルトの『方法序説』を直接読むはずだ。しかも、『はまむぎ』は明らかに小説であり、そこに厳密な意味での哲学を期待するという人は多くないだろう。それにもかかわらずクノーが『方法序説』の口語訳を目指したのは、哲学的なものが小説として成り立つと考えたからである。『方法序説』の参考書として『はまむぎ』を書くなど考えられない。繰り返しになるが、クノーは「二重の制限」を課されていた。そのしがらみの中で、哲学に救いの道を見出したとしても不思議ではないだろう。
なお、『はまむぎ』以降においてもクノーの哲学への関心は衰えない。そして、その関心はヘーゲルへと向かう(『人生の日曜日』ではヘーゲルの言葉がエピグラフとして掲げられている)。特に、「歴史」に対する興味が深いようだ。クノーが関心を持った「歴史」とは、ピエール・マシュレによれば、人々が実際に体験している歴史であり、人々が解釈している歴史であり、そして人々が語っている歴史
、すなわち人間の歴史であり、学者や哲学者が書く歴史であり、そして作家が書く歴史、つまり物語
12だったのである。後々現れてくるイストワール(歴史/物語)への関心から立ち戻れば、『はまむぎ』で問題になる「存在の認識に関する問い」もそれほど無意味なものではないと考えられる。
3)小説による言語改革
クノーが『はまむぎ』を書き始めたのは、1932年のギリシャ旅行の最中である。その時、クノーはギリシャ語の抱える問題点に興味を持った。「カタルヴサ」と「デモティキ」の乖離である。前者は公的な場面で用いられる書き言葉で、後者は日常的に用いられる民用語なのだが、その両者は語彙のレベルでかなりの違いを見せている。クノーはそのような書き言葉と話し言葉の乖離をフランス語にも見た。繰り返しになるが、フランス語の書き言葉は不経済である。例えば、時にはたった二音節を表すために六文字(ex. oiseau)を必要とし、会話では使われない活用(ex. 接続法半過去)があり、まったく発音されない文字(ex. vingtのg)すら存在する。
クノーはそのように硬直してしまった書き言葉を改革する必要性を痛烈に感じた13。新フランス語はまさにそのような危機感の表れであり、かなり深刻な試みだったと言えよう。なぜなら、小説家が扱うものは常に書き言葉だからである。
このように、一見ただの言葉遊びに見える新フランス語は、言語改革の模索としてなされた。しかしながら、『はまむぎ』に言語改革を盛り込んだことは、それ自体ですぐに納得のいくことではない。説得力がないのだ。たとえば、2003年の日本において言語改革をなしえようと思ったら、文部科学省に働きかけなくてはならない。言語改革の必要性を訴える研究書を書かなくてはならない。現実的かつ戦略的に考えれば、小説による言語改革は荒唐無稽なのだ(もちろん可能性はゼロではないが)。
では、クノーは非現実的な計画を夢見て、言語のジャン・ジャック・ルソーたらんとしたピエロなのだろうか? たしかに、言語改革という観点からすれば、その言葉は当てはまるだろう。しかし、クノーが行ったのは「小説上での言語改革」である。その射程が現実世界の言語を改革することにまで到達していたかどうかは疑わしい。何度も繰り返すが、クノーは「二重の制限」を課されていた。現実世界に対する実効性はともかくとして、言語改革的側面を盛り込むことで、『はまむぎ』は単なる小説とは違った位相の作品になることができる。つまり、クノーは「二重の制限」から抜け出すための一つの方法として、新フランス語を採用したのだ。
4)ナラシオンの百科全書
前章(4)で述べたように、『はまむぎ』はわずらわしいほど多くのナラシオンが使用されている。しかも、それらはすべてクノー独自のものではなく、既存の文学によって達成されていたものだ(例えば、クノーはジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を読んでいる)。なぜこんなことをしたのだろうか?
そもそも、新たなナラシオンの開発ができれば、それに超したことはない。しかし、多くの小説家がそれに取り組んでは失敗してきたことからもわかるように、容易なことではない(もしそれが達成されていれば、『はまむぎ』の評価はもっと違ったものになっていただろう)。しかも、あらたなナラシオンの開発という、その試み自体はシュルレアリスム運動においてもなされていたことである(ex. 夢の記述)。その結果、クノーはまるで自分の文学的知識を誇示するかのように、あらゆるナラシオンを網羅的に使用したのである。
言い換えれば、あらゆるナラシオンを使用することによって、どのナラシオンにも固執しなかったのだ。これはクノーの懐疑主義的な哲学(あらゆるものへの疑惑、絶え間ない判断の保留)に通じるところがある。ともかく、クノーにとっては、ある特定のナラシオンの効果を意識してそれを採用することよりも、すべてのナラシオンを列挙することが目的であった。
結果的に、『はまむぎ』は「ナラシオンの百科全書」的な側面を持つ。そこには「文学」だけではなく、シュルレアリスムさえも含まれる。そのような包括的な構成を持たせることで、クノーは「二重の制限」から抜け出そうとしていたのだ。
以上、本章では(1)から(4)に渡って、前章で述べた問題点に隠されたクノーの意図を述べてきたわけであるが、結論として(少々乱暴に)導き出せるものがあるとしたら、それは「二重の制限」の克服ということになる。循環小説、押韻小説といったシンメトリックで幾何学的な構造も、同じ理由から採用されたと言っていいだろう。
だが、注目すべきはそういった種々の試みが数多くなされているという点である。どれか一つではなく、これでもかと言わんばかりに多数の試みをなさなければ、「二重の制限」を克服することは難しかったのだ。多数の試みが肩を並べて押し詰まっていることこそが、『はまむぎ』の最たる特徴である。換言すれば、膨大な意味層を持ち、なおかつそのどれにも焦点の合うことのない小説が『はまむぎ』なのだ。そして、そのように雑然とした構造を持つ『はまむぎ』という小説とは、レーモン・クノーという一作家の文学的苦闘そのものであり、その戦いから生まれた結果なのだ。つまり、クノーの個人的神話を下敷きにして考えれば、この作品の持つ複雑怪奇な外見もそれなりに説得力を備えたものとして映ってくる。
だが、大変な思いをして生まれた小説が、必ずしも面白いとは限らない。つまり、それはクノーにおいてのみ完結する意味であり、ある読者が『はまむぎ』が読んだ時、必ずしも作者と同じような苦しみに襲われるわけではなく、同じような達成感を得られるわけでもないのだ。
もちろん、クノーの苦悩を『はまむぎ』の中に見出し、その克服に感動を覚えることは不可能ではない。ただし、それには膨大な「解読」の努力が必要である。その「解読」が完了するためには、たとえどんなに効率良くやったとしても、かなりの時間を浪費するだろう。ほとんどマゾヒスティックな知的パズルだ。
とはいえ、小説を読むときに、「解読」をなさない読者など皆無である。読書には多かれ少なかれ「解読」が付きまとうものだ。焦点の無い『はまむぎ』をぼんやりと眺める読者などいない。必ずどこかに焦点を当て、その部分を「解読」しようとする。
次章では、そのような「解読」を伴う読みについて考察したい。