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さようなら、ジンジンとマオ。

高橋文樹 高橋文樹

この投稿は 2年半 前に公開されました。いまではもう無効になった内容を含んでいるかもしれないことをご了承ください。

大学を卒業してから家を出て、北千住に住み始めたのが18年ぐらい前。ちょうどその頃、実家の母が保護猫をひきとって飼い始めました。近所に住む友人がNPO法人をやっていたので、その流れでもらったとか。二匹の雑種でしたが、アメリカンショートヘアーの血が入っているとかで、二匹とも大変美しい顔をしていました。両方とも雌でした。

そのころまだ独身で実家にいた姉がマオとジンジンと名付けました。

マオ
ジンジン。このとき僕は23,4歳。

名前の由来ですが、マオは三島由紀を好きだった姉が三島由紀夫の好きだったレーモン・ラディゲ『ドルジェル伯の舞踏会』から名付けました。ジンジンの名前の由来は忘れました。

申し訳ございません、このリンクは現在利用できないようです。のちほどお試しください。

その後、姉は結婚を機に家を出て、寂しくなった実家で母は猫をよく可愛がっていました。僕もたまに実家に帰っていたので、多少は懐いていました。

ルーターの上が暖かいので、そこがお気に入りでした。

その後、僕が結婚を機に千葉へ帰り、双子の出産で音を上げた八年前には実家に戻ったのですが、その頃はまだニッチも生きていて、犬二匹、猫二匹の賑やかな家庭でした。三年ぐらい前、子供学区の問題(当時の学区にある中学校は閉校が予定されていた)をきっかけにすぐ近くに引っ越したのですが、それからも猫たちは年老いた母の心の支えとなってくれていたようです。

それでも家族となってから18年、姉妹だったジンジンとマオの寿命が近づいてきたようで、昨年の暮れにマオが、そしてつい三日前にジンジンが亡くなりました。年老いた生き物は寒い冬を越えるのが難しく、それぞれ亡くなる一週間前にはご飯も食べなくなり、甘えた声で泣き、痩せ細って死んでいきました。

一年ほど前から母が病気で猫たちの世話をすることが難しくなり、僕が毎日様子を見に行っていました。なにかしてあげられることはあったのかもしれませんが、多忙にかまけているうちに二匹とも亡くなってしまいました。マオはコタツの中で、ジンジンはジョイフルホンダで買ったマットの上で亡くなっていました。かつては犬二匹・猫二匹と賑やかだった家には、もうパッキンしか残っていません。

思えば、僕が生まれてから家にはずっと猫がいました。

  • ムッチー(雌)。僕が生まれる前からいて、僕が五歳ぐらいのとき押し入れの中で死にました。生まれて初めてペットが死んだのがこのときです。
  • チー(雄)。ムッチーの子供。三歳ぐらいのときに家出していなくなりました。
  • チャム(牡)。姉が拾ってきました。一歳か二歳ぐらいのときに家出していなくなりました。雄は家出しますね。
  • ミュウ(雌)。僕が小学校二年生ぐらいのときに公園で拾いました。捨て猫で、子供たちが「どうする?」と相談していたので、勝手にもらってきました。16歳ぐらいまで生きました。

そんなわけで、犬を飼ってはいますが、僕の人生の半分ぐらいはずっと猫と共にあったので、ジンジンとマオが死んでしまったのはとても悲しいです。

長男が喘息ぎみかつ妻が猫をぜんぜん好きではないので、あと何十年かは猫を飼うこともないと思いますが、年老いた母を支えてくれたことは本当にありがたかったと思います。猫には他の動物にはない「自分だけに心を許している」と思わせてくれる瞬間があるので、人生に彩りを与えてくれたことでしょう。

「作家は猫派だ犬派だ」という議論はよくされますが、どちらも飼ったことのある僕にとっては、「どっちだっていい」というのが結論です。犬にも猫にもそれぞれの良さがあります。なんであれ、異なる種族の生物と時間をともにして何某かの関係を築くというそれ自体に美しさがありますね。僕には猫派・犬派という議論が狭量に見えてしまいます。

そういえば、うちにはあとザリガニがいて、これは長男が通っている絵画教室でもらってきたものなのですが、完全に忘れ去られてて、子供部屋の奥の水槽で必死に生きています。ザリガニは何も言いませんが、何年か世話をしているとそれなりに愛着が湧いてきます。

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