そう、ル・クレジオさんがノーベル文学賞を受賞しましたが、彼はまだ生きていたんですね。このあいだ死んだのは、ロブ・グリエでした。似ているから、間違えちゃった。
ぼくは大学時代にル・クレジオの『発熱』を原書で読むという授業を取っていて、それがあまりに苦痛だったため、ル・クレジオをほとんど面白いと思わなかったのですが、その授業を担当していた中地義和先生という方が、ル・クレジオの翻訳も出していたりしたので、何冊か読みました。
個人的な感想では、「文化人類学みたいな小説だな」と思っていたのですが、当時使っていた教科書にはこんな解説があって(その中地先生が書いたものです)、だいたい当てはまっているかなと思います。
『調書』(六三)、『大洪水』(六六)、短編集『発熱』(六五)、『逃亡の書』(六九)において、近代都市の魅惑と残酷を、厳格の描写やコラージュの手法を駆使しながら描いたジャン=マリ・ギュスタヴ・ル・クレジオにはまた、原初的な自然への希求と、宇宙における人間の位置をめぐる不断の瞑想がある(評論『物質的恍惚』)。田村毅・塩川徹也編『フランス文学氏』東京大学出版会、1995年、P.317
ノーベル賞受賞といわれてみれば、たしかに昨今の世界文学の潮流(もっとも、ぼくはそんなに詳しいわけではないですが)を見ると、先駆的な作家だったとのかと思います。最近そんな感じですからね。
ところで、ル・クレジオやロブ・グリエ、デュラス、ソレルスといった、1960年代以降のフランス作家というのは、なんだかよく年齢がわからなかったりします。
ぼくは大学でフランス文学を選考していたのですが、当時(2000年頃)はサルトルとかカミュあたり(1930~1960)をやればかなり新しもの好きといった状況で、ボードレールやランボーが大人気、プルーストを専攻するとちょっとオシャレ、バタイユをやればカブキ過ぎといった状況でした。
というのは、いまほどネットに情報が溢れていなくかったし、いわゆるITスキルが一般の大学生に行き渡る前だったので、新しいフランス文学情報が少なかったのです。
なので、下手に新しいものに手を出すと、間違えてジャン=フィリップ・トゥーサンをありがたがってしまうようなこともありました。その癖、デリダやドゥルーズを読んでいる奴は結構いたり。
ぼくが「アウレリャーノがやってくる」を発表したときも、作中の文学好きたちがやや時代錯誤に見える向きもあったようですが、文学を取り巻く時代の流れというのは、そんなもののような気がします。今でも若者がとりあえず村上春樹を読んだりしますが、あの人がデビューしたのは、ぼくが生まれた年ですからね。結構昔からいる人なわけです。
そうやってゆるやかに流れていた文学の時間の中では、中地先生が「この間、ル・クレジオに講演に来てもらおうと思ったんだけど、忙しいみたいで……」と呟くなどといったこともあり、リアルなコミュニケーションの方が強かった気がします。いいんだか、悪いんだか。
そうそう、書いてて思い出したんですが、ぼくが大学を卒業した翌年の卒業式だったか、大江健三郎さんが東大の仏文研究室を訪れるという事件があったそうです。そして、腹立たしいことに、ぼくはその機会を逃したのでした!
なぜ呼んでくれなかった!
いまふと思い出したので、怒ってみました。とりあえず、ル・クレジオさん、ふぇりしたすぃおん。
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