遅ればせながら読みました。『21世紀の資本』。原題は “LE CAPITAL du XXIe siècle” なので、本来は『21世紀の資本論』と訳すべきでしょう。マルクス『資本論』の原題は “Das Kapital” ですからね。
価格¥5,747
順位18,396位
著トマ・ピケティ
翻訳山形浩生, 守岡桜, 森本正史
発行みすず書房
発売日2014 年 12 月 6 日
さて、巷で話題の本書には大きくわけて次のような価値があると思います。
- ピケティとその仲間達によるデータ収集の試み、それも1世紀以上前のデータを丹念に集めることによって数百年スパンでのマクロ経済的な見方を提示してみせたこと
- GDPや資本所得などをベースにした巨視的な経済の見方を提示してくれること
- 先の大戦(福島県のみなさん、戊辰戦争のことじゃないですよ)は人類にとって本当に大きな衝撃であったこと、そして、そうした危機は経済的な要因で容易に起こうること−−つまり、世の経済学者が語らないこと−−について語っていること
- それがどれだけ馬鹿げたことかを知りながら、世界規模の塁審課税制度を提示していること
というわけで、僕はそれなりに面白く読みました。ただ、経済的な部分とは別に文学的な言及がけっこう多かった点に惹かれましたね。
ピケティの論によれば、現在という時代(アメリカでオキュパイ運動が起きるほど格差が拡大している時代)は、19世紀末のベル・エポック、つまり、フランスという国が繁栄を謳歌し、その国の歴史上もっとも格差が拡大した時代でした。
価格¥825
順位137,864位
著バルザック
翻訳篤頼, 平岡
発行新潮社
発売日1972 年 5 月 2 日
ちょうどその世紀に活躍したバルザックがよく例に挙げられるのですが、『ゴリオ爺さん』の主人公ラスティニャックと悪党ヴォートランの会話が面白いです。
ラスティニャック男爵は弁護士になってはいかがだろうかな? すばらしい! 10年間不遇の時を過ごし、月に1000フラン使って蔵書や仕事場を手に入れ、社交に精を出し、判例を入手するために判事助手に胡麻をすり、裁判所の床を舌で舐めることになる。それでもその仕事がものになるというんなら、あえて反対はしないがな。しかしあんた、50歳で5万フラン稼いでるパリの弁護士の名を5人挙げられるかな?
オノレ・ド・バルザック『ゴリオ爺さん』
ピケティはこの一節を引用し、こうした状況の説明として、当時のフランスでは頑張って働くよりも、どこぞの令嬢をたらしこんで資産を引き継ぐ方がはるかに効率が良かったという事実に言及します。
たしかに、鹿島茂先生とかは19世紀のパリにおける恋愛事情について、概ねこんな節を唱えています。
- 19世紀のパリは道路がめちゃくちゃ汚かった。2階の窓からおまるのウンコを投げるのが普通だった。
- 『ゴリオ爺さん』のラスティニャックは、はじめてニュシンゲン公爵夫人とデートするとき、歩いて行ったら足元を見られた。そして、それをとても恥ずかしく思った。
- 足元を見れば、靴がウンコまみれなのは一目瞭然。ほんとうの貴族は馬車に乗るので、パリの街を歩かない。当然、足にウンコはつかない。
- そうやって背伸びして貴族の奥様と不倫するのはなぜか? 当時の女性はある程度資産を築いた男性と結婚することが多かった。だいたい、20歳ぐらい上。
- そうなると、30代ぐらいになると、旦那が50代から60代になり、性的に使い物にならなくなる。女盛りの奥様としては、10も年下の若者が眩しく見えてくる。
- 若者と不倫して10年も経つと、旦那が死ぬ。そうすると、若者は資産を手にする。
- その資産を元に、若者はなにかしら事業を起こして、10年か20年ののちに成功したりする。その頃、若かりし自分が恋をした奥方はババアになっている。
- 元若者は老いた金持ちとなり、若い女性に恋をする。以下、同文。
『ゴリオ爺さん』が描くのはまさにこうした世界で、やはりパリに住むすべての階級の人々を描き尽くそうとしたバルザックはほんとうに狂っていたんだなとも思いますが、とにかく、19世紀のパリというのはそういう時代であり、いま我々が生きる時代は、それと近いわけです。少なくとも、経済的には。
価格¥4,140
順位813,772位
著鹿島 茂
発行白水社
発売日2009 年 6 月 1 日
他にもバルザックやオースティンを引用しながら、ピケティはその文学的技巧について触れます。『ゴリオ爺さん』を読んだ方はわかると思いますが、バルザックの小説の中にはやたらお金の話が出てくるんですね。やれ持参金が2万フランだとか、年金が5,000リーブルだとか。こうした部分は現代を生きる我々にとって「よくわからん」となりますが、当時の前後50年ぐらいの読者にとってはごくごく当たり前に共有されていた知識であり、年金のような資産所得は年あたり資産価値の5%だというのが共有されていたそうです。どうでしょう、みなさん知っていましたか? 僕はピケティを読むまで知りませんでした。
もちろん、こうした技法はベル・エポック後、第一次世界大戦からいまにいたるまで、通用しなくなります。あるときは90%の高い累進所得税がかけられたりするわけですからね。もちろん、通貨も安定せず、それこそ戦争が起きるほどのインフレも起きていたわけですから、「金の話はよくわからん!」となってしまうわけです。
僕のような人間にとって、やはりなにより興味深いことは、ある時代の文学的技巧(たとえば、主人公の年金額を書いて何かを表そうとすること)がどうしようもなく時代的制約を受けているということです。いま自分はどのように書いているのかということを見つめ直すいい機会になりました。三島由紀夫は自分の文学を普遍的なものにしようとして固有名詞の使用を避けましたが、そうしたことさえやはり普遍という概念を素朴に信じられた時代のストラテジーであり、いまはそうではないのかなと思ったりもします。
価格¥107
順位352,640位
著由紀夫, 三島
発行新潮社
発売日1964 年 5 月 4 日
とはいえ、やはり『21世紀の資本』は経済書であり、こうした重厚な本がベストセラーになるのは現在の諸相を表しているわけですね。この本を読んだ最大の気づきは、そうですね、僕は基本的に働きたくはないのですが、毎年チャリンチャリンと資本が入ってくる状況になるためには、人類の上位0.001%に入らないとダメということがわかり、結局労働からは逃げられないことがわかったという点ですね。終わり。