僕は大江健三郎さんが好きだということを日ごろ公言していますが、よくある大江氏批判の一つに氏の政治性を挙げる人がいます。2ちゃんねるなんかでも大江氏のスッドレはコピペの嵐に巻き込まれることがあります。
大江氏は確かに政治的にうかつな発言をしてしまうこともあったと、氏を尊敬する僕でも思うことがあります。時に整合性を欠くこともあったでしょう。その不整合性が「小説家だから」ということで許されていいとも思いません。しかし、それでもなお、小説家は政治的な発言をすべきだと思います。
なんで急にこんなことを思ったかというと、本日、秋葉原の無差別殺傷事件に関連して出版された『ロスジェネ別冊2008』渋谷のBook 1stで購入したからであります。
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ちょっと今さら感もありますが、ふと思いついて購入し、さっき読み終えました。新潮新人賞の先輩にあたる浅尾大輔さんや、同期の大澤信亮さん、文学フリマではじめてご挨拶した杉田俊介さん、そして、「『丸山真男』をひっぱたきたい――希望は、戦争。」で一躍時の人となった赤木智弘さん、ロスジェネ界隈では有名人の雨宮処凛さん、そして、東浩紀さんらがパネルディスカッションに参加されていました。
読了して、僕が意外に思ったのは、東浩紀さんの発する言葉がかなり真摯なものとして感じられたからです。
東さんは文芸評論家として様々な文芸誌に寄稿していますが、僕にはイマイチ説得的なものと思えませんでした。というより、不勉強を棚に上げて、適当にやってるんじゃないかとさえ思っていました。これは「動物化するポストモダン」を読んだときもそうでしたし、最近の「田中-高橋論争」について読んだときもそうでした。
ところが、東さんの言葉は「ロスジェネ別冊2008」の中では、妙に切迫しています。
そうなんですよ。僕はそこをけっこう本気で悩んでいる。
第一に、人々が尊厳を持つべきだという命法は、いまの世の中ではすごく抑圧的に働きます。尊厳を持った人間として生きろ、というのは正しいように見えて、僕は危険だと思っている。では第二に、尊厳を持っていなくて、ただ、だらだらと生きているやつをどう肯定するか。そのときに、僕は富の問題は解決できると思う。解決できるというか、解決するように世の中を設計することは、みんなで一生懸命頑張ればたぶんできるんじゃないかと思う。だから、それはほかの人が考えてくれるということで横に置いたとして、では本当にそれで人間が生きていけるんだろうか。これは『動物化するポストモダン』(注37)以来ずっと考えています。赤木さんが言ったように、たとえば「2次元で満足できるようになればいけるんじゃないの」と言っている人はいます。でも本当にそれもそうかどうかわからない。僕はわからないです。
浅尾大輔他著『ロスジェネ別冊2008 秋葉原無差別テロ事件 「敵」は誰だったのか?』かもがわ出版、2008、p.41-42
こういう、真摯な言葉を読んで、2つのことを思いました。
- 東浩紀さんが語りたいこと、語れることの多くは文学の側にはないということ
- それはつまり、文学があまりにもそういうものから離れてしまったということ
東さんが文芸誌に寄稿しているのは、単に彼が批評家だからだと僕は思っています。これは、東氏に限りません。
これまでのメディアの歴史が長い間出版物に寄添って育ってきたから、たんに批評家が言及することが多かっただけであり、その結果として文芸評論というジャンルが生まれのです。
言を変えれば、批評をするにあたって、必ずしも文学を主題にする必要はありません。ニコニコ動画とか、ポスターとか、語るべきものはたくさんあります。たまたま、文学に才能が結集していた時間が長く続いたから、すぐれた批評家としての文芸評論家がたくさんいたということでしかありません。
そもそも僕がなぜ純文学(というのは、文学とは純文学のことに他ならないからです)なんかをやっているかというと、一つの理由からだけではありません。それが表現の形式として、多くのことを語れるからです。優れた文学者というのは、なんにせよ、一言でいいつくせない言葉を発します。大江氏もそうですし、芥川龍之介や中島敦もそうです。美しい言葉をつむぐけれども、それだけではない。一夜の夢物語を聞かせてくれるけれども、それだけではない。理知的な言葉の建築物を見せてくれるけれども、それだけではない。それだけではなさが表現形式として優れているか否かを決めるのです。そして、文学にはまだそれだけではなさがあるはずです。
僕は大江氏が知識人たらんとしたことを、自我肥大などではなく、表現者としての自覚として褒め称えたいと思います。所詮、文学ばっかりやってる人間ですから、無知をなじられることもあるでしょう。が、言葉を生業としている人間が、言葉を発することに臆病になっている場合ではないと思います。恐れないことで、その言葉にはそれだけではなさが宿ります。
アマチュアリズムを恐れないこと。それが知識人の条件だと言ったのは、サイードでしたっけ。
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というわけで、僕自身もそうですが、小説家は批判を恐れずに政治的な発言をすべきだと思いました。また、政治的な発言をできない小説家は、たとえその本が売れたとしても、文学として評価されるべきではないとありません。でないと、優れた批評家が文芸評論家を兼ねることはこのさき無いと思います。ただ、安っぽい覚悟でしか言葉を発することのできない書評家が小林秀雄の子孫のような顔をして跋扈するだけです。優れた批評家は、文学とは関係の無い場所でも新しい小林秀雄や江藤淳になることができるのです。
今日の結論
で、昨今のロスジェネ的な問題が一筋縄では行かないということはよくわかりました。
世代間格差に陥りがちなこの議論を不毛なものにしないために、なかなか無限になってくれない資本ではなく、もしかしたら無限かもしれない「承認サプライ」について考えることも魅力的に思えました。
とりあえず、「生活レベルを落とすのは難しい」という俗説について一考の余地ありというのが、僕の結論です。右肩上がりではなく、「未熟な者として生まれ、ある程度成熟し、最後は未熟に死ぬ」というピラミッド型の人生をいかにして受け入れることができるのかという問題について考えたいと思います。
とりあえず、マズローから入ってみよう。
ちなみに、僕は政治的に右か左かと問われれば、当然左です。小さい頃、母親に連れられて成田闘争に参加したりしましたが、そういったノスタルジーを差し引いても、ただその国に生まれただけで、異邦人を馬鹿にするような風潮は嫌いです。ここらへんは、他人の言葉を引用して終えます。
ナショナリズムの理論家たちは、しばしば、次の三つのパラドックスに面くらい、ときにはいら立ちをおぼえてきた。その第一は、歴史家の客観的な目には国民(ネーション)が近代的現象とみえるのに、ナショナリストの主観的な目にはそれが古い存在とみえるということである。その第二は、社会的文化概念としてのナショナリティ〔国民的帰属〕が形式的普遍性をもつ――だれもが男性または女性として特定の性に「帰属」しているように、現代世界ではだれもが特定の国民(ナショナリティ)に「帰属」することができ、「帰属」すべきであり、また「帰属」することになる――のに対し、それが、具体的にはいつも、手の施しようのない固有さをもって現れ、そのため、定義上、たとえば「ギリシア」というナショナリティは、それ独自の存在となってしまうということである。そしてその第三は、ナショナリズムのもつあの「政治的」影響力の大きさに対し、それが哲学的に貧困で支離滅裂だということである。中略つまり、国民(ネーション)と国民主義(ナショナリズム)は、「自由主義」や「ファシズム」の同類として扱うよりも、「親族」や「宗教」の同類として扱ったほうが話は簡単なのだ。ベネディクト・アンダーソン著、白石隆・白石さや訳「定本 想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行」書籍工房早山、2007、P.22-24
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