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ソルジェニーツィンが死んだ

高橋文樹 高橋文樹

この投稿は 15年半 前に公開されました。いまではもう無効になった内容を含んでいるかもしれないことをご了承ください。

とりたてて好きなわけではなかったけれど、本日(2008/08/05)付の朝日新聞に載っていた解説に思うところがあったので、一言メモ。

ソルジェニーツィンといえば、最後のロシア大作家と評されるように、トルストイの系譜に連なる「重厚長大な大作家」の一人だった。「収容所群島」は彼にとっての「戦争と平和」だったろうし、「全体主義との戦い」という大きなテーマも持っていた。

そういえば、ほとんどの人が「収容所群島」を避けて「イワン・デニーソヴィチの一日」を読んでいるというのも、トルストイに重なる。みんな「戦争と平和」じゃなくて、「イワンのばか」とかを読んでいるでしょ。

ともかく、強制収容所に入れられたという経験は、者を書く人間にとって糧ともなっただろう。それゆえに彼は「大作家」たりえたし、宗教や正義と手を携えた「真っ当な感じ」を帯びていた。

で、以下の一節。

強制収容所体験を持ち、旧ソ連国家保安委員会(KGB)から迫害を受けた同氏〔引用者中:ソルジェニーツィンのこと〕だが、KGB出身のプーチン氏にはその野党への強圧的な政策にもかかわらず、「強制収容所による弾圧に関係したわけではない」とあくまで好意的だった。2008年8月5日『朝日新聞』(全国版)9面

たしかに、収容所体験というものは、微細な悪をかき消してしまうものだ。それに比べたら、今のロシア政権化でジャーナリストの暗殺(アンナ・ポリトフスカヤ)が起きたりするのは、もしかしたらどうでもいいことなのかもしれない。

ある大きな苦しみを乗り越えた社会というものは、微細な修正をして、仕上げて行くことが必要だ。もう革命の時代は終わって、彫刻を研磨剤で磨くようなことが求められている。revolution(革命)よりもelaboration(彫琢)が求められる時代にあって、ソルジェニーツィンの意識は古きよき時代の正義として、なんだか懐かしい。大文字の文学を感じる。そのころはまだ生まれていなかったけど。

収容所群島(1) 1918-1956 文学的考察

価格¥4,051

順位1,142,341位

ソルジェニーツィン

翻訳木村 浩

発行ブッキング

発売日2006 年 8 月 3 日

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