朝日新聞の書評にも取り上げられた書物「グーテンベルクからグーグルへ」をやっとこさ読み終えました。
書名も頭韻を踏んでいて完璧なのですが、メディアの歴史を考える上で欠かせないグーテンベルクからグーグルまでを含んでいる非常に浩瀚な書物でした。
今年読んだ本の中でもベスト3に入ります。
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さて、本書が述べるのは、副題「文学テキストのデジタル化と編集文献学」にもある通り、ITテクノロジーと「編集文献学」という耳慣れない学問の関わりについてです。
職業はなんでもいいのですが、文学に携わる仕事についていて、テクノロジーの発達に対していくばくかのアイデンティティ・クライシスあるいは使命感を覚えている人は読んでおいた方がいいでしょう。
内容については非常にふむふむと知的好奇心をそそられます。
以下、引用します。
「テキストの質」という表現はいささか曖昧である。これは、作品の質について、つまり、内容やスタイルの長所について、述べてもいるようにも取れるからだ。先に示唆したように、グーテンベルクが自分の発明の最初の実演材料として聖書を選択したことは優れた着眼点だったといえる。なぜなら、自分の新たな生産手段を、社会的かつ商業的に重要な価値を持つ本と同じ地位に置くことができたからだ。前掲書、P.30
もし人が老いることも死ぬこともないのなら、新しい標準が誕生してそれが普及し、統一された一揃いの完全な機能つき編集ツールの開発を待ってもいいだろう。そうではない以上、とりあえず現時点で持っているものを受け入れざるを得ない。前掲書、P.155-156
一八四二年、ドイツ・ライプツィヒのベルンハルト・タウフニッツ男爵が、冒険的な出版事業に乗り出した。そして、この事業は最終的に、第二次世界大戦の一〇年後、一九五五年まで続くことになった。彼はこの事業を「英国作家集成」と名づけ、戦争勃発時までに五三七二の作品を出版しており、その多くを、事業が継続している間、絶版にしなかった。これに比肩する規模の企てを探そうと思えば、二〇世紀のランダム・ハウスのモダン・ライブラリー、エブリマンズ・ライブラリー、そしてペンギンやオクスフォードの古典シリーズに目を向けねばならない。同時代には、男爵に匹敵する、継続的な競争相手はいなかった。前掲書、P.179-180
学術編集を行う動機に関する以下の考察は、私の懺悔のようなものだ。すなわち、私が胸に抱き、そして捨ててきた、編集を行う理由である。最初の理由は、学術版の編集は、うぬぼれや、編集の重要性についての思い違いのようなものから遂行されるのかもしれないということだ。A・E・ハウスマンの例を参照することから始めてみてもよいだろう。よく知られているように、彼は自分が三流の作家だと思うものを選び、より完璧な作品でありより永続的なモニュメントであるものを作り出すために編集した——一流の作家は、完璧に編集するには、難しすぎるという理由で。前掲書、P.230
西に航海して中国にたどり着くというコロンブスの遠大な計画は、多くの反対を受けたと信じられてきた。地球は平らだと信じる人々が、コロンブスは海の端から落下してしまうといって反対してきたのだ、と。しかし、これはまったくの間違いなのだ。エーコによれば、地球平面説は、中世において、非常に少数の人々によって信じられていたに過ぎなかった。中世には地球平面説が支配的だったという考えは、一九世紀末に広まったものだ。一八九七年に刊行された、粗雑だが影響力の大きな書物がその現況だという。エーコによれば、コロンブスは地球平面説とは異なった、しかし同じくらい重大な誤解に基づいて航海に出たのだという。彼は、地球が実際よりもはるかに小さいと信じていたのだ。エーコ曰く、したがって、コロンブスの計画への反対は、むしろ賢明な人々から提出されたのだ。彼らには、西回り航路で中国に向かうルートが既知の東回りルートの代替になるには遠すぎるということがわかっていたからだ、と。だが、エーコの論点で重要なのはここからだ。「〔コロンブスに反対した〕これらサラマンカの賢明な人々は、正しかったけれど、間違っていた。そしてコロンブスは、間違っていたけれども、信念を持って自らの誤解を貫いた結果、正しいことが証明された——セレンディピティのおかげで」前掲書、P.279-280
とまあ、色々示唆に富むことが書かれているので、オススメです。それと、やっぱりウンベルト・エーコは凄いですね。
「グーテンベルクからグーグルへ」の隠れた重要性
で、この本はそれだけでも面白いのですが、この本が邦訳されたことの最大の価値は、訳者あとがきにあります。
梅田望夫的絶望、なぜこの本が日本文学研究者ではなく外国文学研究者によって翻訳されたか、なぜ日本の「文学全集」は政府が金を出さずに私企業のビジネスの一環としてなされているのか、そして、その私企業に過ぎない日本の出版社はGoogleの一元的な支配に対して異論を差し挟むどんな根拠を持っているのか。
この本からはいろんなことが読み取れます。
実にタイムリーな悩みを吐露している明星先生にあっぱれですね。
ところで、訳者あとがきで「この本が翻訳されたきっかけはカフカだった」ということが明かされるのですが、この部分はこの書物の白眉です。
個人的には池内紀先生がこの本を読んで、どう思うのかということを知りたいです。
今は出版界激変の時代ですが、「ほかの誰ひとり、ここには入れない。この門は、おまえひとりのためのものだった。さあ、もう俺は行く。ここを閉めるぞ」なんて言われないようにがんばりたいですね。
だってそれは、「村を挙げての仕事」だから。
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