現在、プロジェクト・アウレリャーノで出版準備をしているところなのですが、同時収録予定の「フェイタル・コネクション」は破滅派同人の山谷感人をおもっくそモデルにした小説で、本人にも許可をとっているのですが、他の問題点が存在しないかどうか気になっていたところ、なんとそのものズバリ『プライヴァシーの誕生 モデル小説のトラブル歴』という本が出ていました。去年の夏に出ていたようで、まるで僕のために用意されていたかのようなナイスタイミング……!
申し訳ございません、このリンクは現在利用できないようです。のちほどお試しください。
このネタですでにYouTube動画を一本あげていますので、時間がある方は見てください。
さて、本書の結論では柳美里の「石に泳ぐ魚」の例を触れ、「モデル小説は冬の時代だよね」という方向性で締めていました。一応、インターネットやSNS隆盛についても割かれていましたが、あくまで概観といった感じ。
小説家として勉強になったのは……
- 事実か創作かという点は裁判において問題とはならない。読者は小説に書かれたことが事実かどうかを判断する術を持たないので、単にモデルにされた人の受けた被害で決まる。
- 社会正義のための暴露(筆誅)はもう通じなそう。実際、現在の政治家は公的な人間であるにもかかわらず「プライバシーに関することなので」という言い訳をすることがあり、しかもその対応が一定の理解を得ていますからね。
- 無名の人であってもダメ。これは「石に泳ぐ魚」で多くの人は「原告が訴えなければ誰もその人がモデルだとは気づかなかったんじゃないの?」と思ったそうですが、「不特定多数の読者は知人たりうる」という結論が出ました。
- プライヴァシーとはつまり自己情報のコントロール権であり、特にSNSが発達した現代ではより厳しく扱われそう。
- 創作をたくさん行ったとしても、情状酌量ほどの役割しかなく、訴えられたらまず負ける。有名な作品になればなるほど「報道被害」という側面が強くなるので、さらに負ける。
- そもそもモデル小説だと宣伝しなければ大丈夫そう。「私小説」とか「自伝的作品」とか言わなければいいのかな?
- 「表現の自由」は憲法に明記されているが、あまり重視されることはなく、今後はもっとなさそう。
といったあたりですね。
で、今後のモデル小説はどうしたらいいかというと、基本的には「書いても良いという同意をもらう」しかないですね。ただ、この同意をもらうためにはかなりの信頼関係がないと無理でしょうし、モデルにとって悪いことや不利なことはなかなか書けなそうです。
もしくは、SFとかファンタジーとか、舞台設定を変えるのも無難ですね。
特にいまはSNSやYouTubeの隆盛によって、ほとんどあらゆる人が芸能人というか、評判の流通する存在、つまり自分の評判を意識する人になってしまいました。ある意味でプライヴァシーの価値が高まっているというか、株式市場に流通している株式が増えたような状態になっていると僕は考えます。昔はプライヴァシー訴訟なんて多くの人にとっては関係のないことだったでしょうが、いまは他人事じゃないですからね。「許せん!」という社会的圧力も強くなっていく一方です。
今後はモデル小説を書くにあたって気をつけなければいけないどころか、普通の出版社からはモデル小説って出せないんじゃないかなとさえ思います。
とまあ、動画の中では他にもいろいろ語ってるので、見てみてください。プロジェクト・アウレリャーノのご支援もお願いします。特にお金はかからないので、詳細だけでもぜひ。