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地図と領土と資本主義のカタログ

高橋文樹 高橋文樹

この投稿は 10年半 前に公開されました。いまではもう無効になった内容を含んでいるかもしれないことをご了承ください。

もし小説家のオリンピックが開かれたとしたら、フランス代表として金メダル候補になるだろう作家、ミシェル・ウエルベック。そんな彼の新作を去年に購入し、やっと読み終えたので書評を書きます。ウエルベックは新作が出たら必ず買うようにしている作家の一人です。

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本作、『地図と領土』はある芸術家を中心に話が展開していきます。彼は工業製品への感心から、どうということのない工業製品の写真を撮り始めます。やがてそれがミシュランのプロモーション担当である美しいロシア女性オルガの眼に止まり、彼は徐々にアーティストとしての地位を確立していきます。

芸術家として成功の道を歩み始めた彼は、オルガの転勤をきっかけに隠遁生活に入るのですが、誰からも忘れ去られた頃、有名人の肖像画を書き始めます。それは大成功を収めるのですが、最後の肖像画の題材は、なんと小説家ミシェル・ウエルベック。

本作は三部構成になっていて、三部でいきなり作品の趣向が変わるのですが、それは後述します。ネタバレも含んでいますし。

資本主義文学

さて、僕がウエルベックが現代において重要な作家だと思う理由の一つに、「取り組んでいる問題の独自性」を挙げることができます。

大文字の文学が滅んだと言われて久しいですが、ウエルベックは数少ない主題を持つ作家と言えるでしょう。その主題は「資本主義」という一語に還元できます。僕たちの生活の根幹をなし、なお発展を続けるにもかかわらず、僕たちを振り落として発展していこうとしている資本主義こそがウエルベックの主題であり続けていると思うのです。

『ランサローテ』というウエルベックの小説処女作があるのですが、冒頭にこんな会話があります。英訳版を仕事場に置きっぱなしなので、うろ覚えの引用なのですが。

May I help you?

– No, you can’t help me.

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これはどこか気晴らしに旅行にでも行こうと思った主人公が旅行代理店に入り、店員が言うお決まりの挨拶に対しての内的独白です。もちろん、旅行代理店の店員がその顧客が根源的に抱えている問題を解決できるかというと、無理な注文でしょう。しかし、多かれ少なかれ救済を求めてなんらかの消費を行っているというのもまた、真実なのではないでしょうか。

僕たちは労働や消費を通してしかこの世界に意味のある地位を築くことができない、という点を考えると、この消費に対する異様な期待も頷けるところがあります。

また、ウエルベックの小説の登場人物達はよく旅行に出かけます。『プラットフォーム』でも『素粒子』でも。ただ、それはすべてを投げ捨てて旅に出るわけではありません。凡庸な作家なら、主人公は仕事に出た朝、何もかも嫌になって逆方向の電車に乗ってしまうことでしょう。しかし、ウエルベックの主人公達は旅行代理店に行き、パッケージツアーをちょっとカスタマイズしたような旅に出るのです。そして、人生が変わるような出会いをします。主人公達の人生は亡命エグザイルではなく、パッケージツアーで変わるのです。

こうした資本主義的リアリズムは『地図と領土』においても発揮されます。なにより、主人公ジェドの芸術家としての地位を確立したのが、なんでもない工業製品の写真だったのは象徴的です。また、第三部で突如搭乗する刑事はベンツのAクラスに乗っているのですが、それはこのように形容されています。

彼の人生について何も知らないとはいえ、ジェドはジャスランがメルセデス・ベンツAクラスを運転してやってきたとき、別段驚きもしなかった。メルセデス・ベンツAクラスは、都市あるいは都市郊外に住んでいるが、ときには都会を離れて〈洒落たホテル〉に出かける余裕のあるような、子供のいない老夫婦には理想的な車である。

中略

五十年以上前から、——トヨタのマーケットにおける見事な先制攻撃力や、アウディの旺盛な闘争精神にもかかわらず——世界のブルジョワは全体として、メルセデスに忠実であり続けていた。

ミシェル・ウエルベック『地図と領土』筑摩書房 2013 P.326

およそ現代の小説において、重要な登場人物を形容するためにわざわざベンツのAクラスを選ぶ作家がいるでしょうか。年収600万ぐらいあれば十分買えるだろうベンツのAクラスが相応しい人物というのは非常に逆説的なリアリティを持っています。凡庸な作家なら(本日2度目)手のかかる20年もののFIATに主人公を乗せてしまうことでしょう。

実際、ウエルベックの小説には膨大な固有名詞が登場します。この固有名詞を数え上げていくだけでも、なにがしかの重要なことが書かれているかのうような気になってくるから不思議なものです。

主人公は芸術家としてパーティーに参加するのですが、そこで様々な有名人達と出会います。僕はフランスのテレビを見ているわけではないのですが、要するに小説の中にみのもんたとか東野圭吾とかが出て来て、なにか喋ったりしていると想像してみてください。これは相当勇気がないとできないことですよ。

三島由紀夫ならここで「私は小説の中で流行におもねった固有名詞を使わない、普遍性がなくなるからだキリッ」とか言うんでしょうが、そんな19世紀的な言説はもう通じないですね。もう21世紀ですからね。

そういえば他の作品ではビョークとかも出てましたね。そうしたことを踏まえると、作中にミシェル・ウエルベック本人が出てくるのも必然と言えるでしょう。

こうした一見陳腐ともとれるような名詞を連ねながらこれだけの作品を書くのは難しいですよ。どの作家も「どれだけイケてる曲の歌詞を引用するか」とかに腐心してますからね。

没落と諦念のあいだで

ウエルベックは彼の最高傑作『素粒子』の冒頭で「これはフランスが三流国家に転落した時期の出来事である」という宣言から書きはじめます。

これは先進国と呼ばれる国に住む人間なら、一度は感じたことがある没落ではないでしょうか。かつは文化の中心として世界中の羨望を集めたフランス。それがいまやボジョレーヌーボーの時期やハーフタレントの祖国として話題に上がったときしか顧みられない。『地図と領土』でも、主人公ジェドは空港で日本人と出会います。

気の毒なこの人物は、工作機械メーカーのコマツの従業員だった。コマツはこのあたりで最後に残っている毛織物製作会社に最新式の織物製造ロボットを売るのに成功した。ところがロボットのプログラミングに故障が生じたというので、彼が修理のためにやってきたのである。その種の出張のためには、と彼は嘆いた。以前であれば三、四人、あるいはぎりぎりでも二人の技術者が派遣されたものだ。ところがひどい財政緊縮のおかげで、彼はたったひとりボーヴェまでやってきて、怒り狂う顧客とプログラミングに欠陥の生じた機械の相手を務めているのだった。

前掲書、p.164

こうした悲しみは、結局のところ、先進国の人間にしかわからない、独特のものであるわけです。中国やロシアが村上春樹に夢中になっていても、それはもうすでに起きたことなのです。ローマ帝国も結局は滅びたわけで、私達はそれが悲しいのです。

また、ウエルベックの小説における語りの時間感覚には独特のものがあります。回想と現在時制(フランス語では過去形で書かれていると思いますが)が混在したような書き方ですね。『素粒子』や『ある島の可能性』などは物語の要請からそのように書かれているとも言えるのですが、全般的に遠大な時間の中に位置づけられたテキストを読むような印象を受けます。たとえば、ジェドが自分のアート作品をプロモーションしてくれた女性と交わすこんな会話がそんな感じです。

「それでは……」彼女は寂しそうにしめくくった。「あなたとお仕事できて、よかったです」

「ぼくら、もう会わないのですか?」

「いえ、もちろん、もしわたしにご用があれば。携帯の番号はご存知ですよね」

そして、彼女は去っていった。何かわからない運命のほうへと、ふたたび旅立ったのだ——実際のところ、これからすぐに寝に帰り、ハーブティーでもいれるのではないかという気がした。出て行こうとして、彼女はもう一度振り返ると、消え入るような声でつけ加えた。「これはわたしの人生で最大の成功のひとつだったんじゃないかと思います」

前掲書 P.75

登場人物はなにがしかのキャリアを終えようとしている人が多く、また、主人公は「この人と会うのはこれが最後」と頻繁に感じます。そう、実際に僕たちはそのようにして別れているのです。その人と会うのはこれが最後ということはよくあるのですが、ただ、それに気づかないのです。

こうしたウエルベックの独特の時間感覚、人々がお互いの深い部分で交流しているまさにその瞬間、すでにすれ違っている感じは特異なものです。この時間感覚の落差はウエルベックの小説の時制を一種独特なものにしています。「信用ならない語り手」とかいえばありふれた手法になるのかもしれませんが。

ネタバレについて

さて、この小説は日本語に翻訳される前から、大学時代の友人の間で話題に上ったことがあり、すでにフランス語で読んでいた友人からネタバレをかまされていたんですね。そのときは「なんてひどいことをするんだ」と憤慨したものですが、筑摩書房から邦訳が出ると聞いてホームページを見に行ったら、同じ内容がネタバレされているではありませんか!

孤独な天才芸術家ジェドは一種獰猛な世捨て人の作家ウエルベックと出会い、ほのかな友愛を抱くが、作家は何者かに惨殺される。って、これ第三部の内容ですからね。もう2/3ぐらい消化してから起きることですからね。

なぜこれを書いてしまったのだ? と思いますが、衝撃の展開とかじゃだめなんですかね。

『素粒子』もラスト60Pぐらいの盛り上がり方が半端じゃないので、それと同じだと思うのですよ。『素粒子』もあの部分をネタバレされたら、そもそもウエルベックが語りに含めた数々の伏線が台無しになるんでは、と思うのですが。

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ちなみに、タイトルの「地図」についてはわりと冒頭でわかります。ただし、「領土」がいったいなにを意味するのかについては、最後まで読まないとわからないですよーだ。

そういうわけで、楽しみにしている方は筑摩書房のホームページを訪れないことをおすすめいたします。

それでは、久しぶりにいい小説を読んだという凡庸な感想をもって終わります。

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