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作家の異常な運命、または私はいかにして戦争を愛するようになったか

高橋文樹 高橋文樹

この投稿は 11年半 前に公開されました。いまではもう無効になった内容を含んでいるかもしれないことをご了承ください。

ここ最近はBookLiveという電子書籍アプリで『To LOVEる ダークネス』を貪り読んでいましが、ついに大著『慈しみの女神たち』を読み終えました。半年ぐらいかかりましたよ。

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さて、件の書物なのですが、これはフランスでもっとも名誉ある文学賞のうち2つを同時受賞した作品です。日本でも書評などで取り上げられていたので聞いたことがある方も多いんじゃないでしょうか。

Baden-Baden, Festnahme von Juden
Bundesarchiv, Bild 183-86686-0008 / CC-BY-SA

ナチス将校である主人公が老齢になって戦争時代に起きたことを回想するという体なのですが、同性愛、近親相姦、親殺しなどの古代ギリシャ演劇のような枠組みを持ちつつ、その情報量において特異な点を持つ作品でした。

大学の頃、というと10年以上前のことになってしまいますが、倫理学の授業でホロコーストのドキュメンタリー映画『ショアー』が扱われたことがありました。僕はけっきょく見ていないのですが、なんと全編9時間超

なぜそんなことになったかというと、8年ぐらいかけて撮り溜められたドキュメンタリー形式の映画だからなんですね。ホロコーストという恐ろしい事態を題材にする以上、映画的な演出は抑えなければならない、という動機からそのようになったようです。監督の動機がなんであれば、僕は「ホロコーストという困難を語るために物量を選んだのだな」と当時は思ったものでした。

で、『慈しみの女神たち 』に話を戻すと、これもまたある種の物量をもってしてホロコーストに向き合った作品なのかな、という感想を持ちました。

というのはですね、めちゃくちゃ細かいのです。近現代の戦争を取り扱った文学作品には少なからず軍隊の組織論について語る部分が出てくると思うのですが、この作品の細かさは群を抜いている印象を受けました。

主人公アウエの抱える仕事がなんであり、それが軍務上どのような位置づけにあるのか、そして、誰がその任務に期待し、誰が煙たく思っているのか、そういったことがこと細かに描かれています。実在の人物も多く登場し、たてえばアイヒマンやゲッペルスなども登場します。アウエは晩餐の席でアイヒマンの妻が夫の仕事についてどう思っているかを彼女の表情から察したりするのですが、そうした細かい描写を読むにつれ、いったい作者がどれほどの時間をかけてナチスについて調べたのか、驚嘆を禁じ得ないわけです。

なお、作者はこのナチスについての小説を書こうという構想を1989年に抱いたそうです。それからNGO職員としてボスニアやらの危険な地域で働きながら、2000年代半ばに出版までこぎつけました。となると15年以上かかってますね。凄まじいです。

こういう文学作品は「難しすぎるんじゃないか」という思いを抱かせてしまうことを恐れた訳者が、エンターテイメント性もあるよというようなことを書いたりするものです。本書もその例に漏れず、「ミステリー的な要素もあるよ」とあとがきに書いてあるわけです。

たしかに主人公アウエは両親殺害の嫌疑をかけられ、戦時中2人の刑事に追われ続けるのですが、そういった物語をドライブする要素も圧倒的な物量の前では瑣末なことです。たとえば主人公は同性愛者なので、「ホモセックス描写もあって腐女子大歓喜!」とかそういう煽り方もできるのかもしれませんが、そうしたエンターテイメント的な部分は先述した『To LOVEる ダークネス』 (詳しくは「古手川 くぱあ」で画像検索)で間に合うのであって、僕はやはりこの圧倒的な物量の前に打ち拉がれるという知的自傷行為を推したいと思いました。

柄谷行人は蓮實重彦との対談でメルヴィルの『白鯨』のように百科全書的な作品をサタイアと分類していましたが、『慈しみの女神たち』はサタイアの最たる例ですね。

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そんなこんなで、はっきりいって読む人を選ぶ作品だと思います。元のフランス語でも「シュトゥルムバンフューラー」とかはドイツ語のままらしいので、本国でも読む人を選んでいたことでしょう。『薔薇の名前』がラテン語まじりで読めない問題というのがありましたが、なんでヨーロッパ人ってそういうことやっちゃうんでしょうか。

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ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」に関する用語集です。

「薔薇の名前」は、膨大な数の歴史的用語が出てきますが、巻末の注釈などがまったくありません。おまけに、文中にしばしば、意味ありげにラテン語の

語句が出てきますが、ここにも訳がついていません。

この本には「薔薇の名前」に出てくる歴史上の人物、異端各派の解説および本文中で訳されないまま出てくるラテン語箇所の訳文が載っています。

「薔薇の名前」を読み終わった人にとっても、これから読む人にとっても、この本は理解を深めてくれる手助けになると思います。

Amazon カスタマーレビューより

あとさらにハードルを高めてしまうような気もしますが、お高いですね。上下巻8000円ぐらいしました。最近海外文学作品の値段が上がっているような気がする(10年前2,000円代だったものがいまは3,000円代ぐらい?)ということを差し置いても、やはり8,000円は高いですねー。

世界各地の文学を自国語で安価に読めるという幸福な時代はもしかしたら終わりつつあるのかもしれません。終わり。

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