ちょっと前に宮崎駿最新作『君たちはどう生きるか』をみてきたので、その感想です。ネタバレを含むのでご容赦ください。
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さて、上映終了間際、妻への誕生日プレゼントの一環として、千葉港の映画館の9時上映に向かい、見てきました。なんと、客は僕と妻の二人だけで、贅沢な上映となりました。
感想はチョロっとtwitter(現X)でつぶやきましたが、端的に素晴らしかったです。かなりセルフ・リファレンシング(後述)だったので、子供達に見せたいかというとそうでもないのですが、宮崎アニメに幼少から触れてきたアラフォーとしては、得難い映像体験でした。
セルフ・リファレンシングとは?
まず、本作は宮崎アニメの印象的なシーンをリライトしたような場面がたくさんあります。
- 老婆たちを見て髪をざわつかせる主人公(=『もののけ姫』でアシタカがエボシ御前と対面したとき)
- キリコに抱きつく主人公(=『天空の城ラピュタ』でドーラに抱きつくシータ)
- 呪われた夏子を包帯から救い出すシーン(=『もののけ姫』でタタリ神となった乙事主からサンを救い出す)
- 手を繋いで歩く主人公と火見(=『天空の城ラピュタ』でバルス直前のシータとパズー)
- 青鷺を矢が追うシーン(=『紅の豚』)
といった感じで、他にも山ほどあるのですが、そのシーンが意味ありげに挿入されるけれども、それはかつて宮崎駿が描いてきたということを思い出す以外に解釈のしようがないシークエンスなんですよね。
この「自分の手練手管をもういちどはじめから見せ直す」というのが、長く創作を続けてきた人にしかできない熟練の技なんですよね。後期の仕事として、傑作でした。似たものといえば、ゴダールの『アワー・ミュージック』ですかね。
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運命を受け入れる
ここからネタバレ。
本作では、異世界に迷い込んだ主人公眞人は炎を操る火見という少女に命を救われます。この火見は実のところ、火事で亡くなった母の幼い頃の姿です。
異世界を崩壊させることを選んだ眞人は、火見とともに現実世界に帰る扉の前に立ちます。扉は二つあり、一つは母の子供の頃、もう一つは眞人の現在です。そこで、眞人は火見に「そちらの扉にいったら火事で死んでしまう」と告げます。もしかしたら、一緒の扉から出たら生きながらえるかもしれない。そんな気持ちからでしょう。しかし、火見は元の時代に帰ります。そうしないと、眞人を産むことができないからです。火事で死ぬような人生でしか、眞人を産むことはできないのです。この運命を受け入れるというのは、ある程度の強靭な人生力を持っていないとできないんですよね。
そもそも本作では「いい人」は出てきません。まず、眞人がクソです。いじめっ子を追い詰めるために石で自分の頭を傷つけ、いじめっ子を陥れます。ジブリ映画の主人公とは思えないほどクソです。しかし、そんな眞人も異世界での冒険を経て、自分の頭に刻まれた傷を受け入れます。なぜなら、それも自分だから。
運命に抗うのは元気な人ならみんなやりますが、運命を受け入れる老成もまた、その種の「達成」であると、僕は考えます。その作家としての命を終えようとしている宮崎駿という人の最後かもしれない輝きが『君たちはどう生きるか」なのでしょう。
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というわけで、見ていない方にはぜひオススメします。以前書いてわりと評判が良かった『崖の上のポニョ』の感想ブログ「崖の上のバルト」もお読みください。
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