20年ぐらい前の大学生のとき、アゴタ・クリストフ『悪道日記』が文庫化されたので読みました。当時はノーベル賞を受賞しておらず、もちろん存命中で、「亡命文学の旗手」みたいな扱いだったかと思います。『悪道日記』自体は普通に面白く、匿名性のある東欧を思わせる農村に暮らす双子「ぼくら」による語りの断章形式となっています。語り手が「ぼくら」であることがずいぶん評価対象になっていたようですが、ここらへんは西欧諸語の活用がある言語ならではの反応という印象も受けました。日本語だと、一人称が僕らだからって特に特別な感じもないですし、「語り手の主語を作中で統一し続ける」というのもあくまでヨーロッパ的という印象でした。また、無駄を排した文体というのも単に作者が移民だったから、フランス語を母語としないからでは、と当時の僕は生意気にも思ったものでした。
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以下、ネタバレなのですが、『悪道日記』のラストではずっと一緒に育ってきた双子が袂をわかち、片方は地雷原を抜けて、もう片方は村に残ります。これはこれで印象的な終わり方でした。
で、最近聴いているAudibleには早川書房の本が充実しており、結構な話題作でも読み放題対象になっています。そこで「双子三部作」の続編である『二人の証拠』と『第三の嘘』を聴いたのですが、大変面白かったです。
まず、第二部『二人の証拠』は村に残った方の双子の片割れリュカの15歳以降の生活が描かれます。戸籍を持たず、兄弟クラウスの帰りを待ち続けています。リュカはひょんなことから家族を得て、書店経営をするようになるのですが、ある不幸に見舞われ、村を出奔します。そしてそれから二十年近くが経ち、五十歳近くなったクラウスが街に戻ってくるというラストを迎えます。
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ただ、ここで問題となるのは、おそらくリュカが書いたのであろうテキスト(作中では『悪道日記』を書いていたであろうことも仄めかされます)が創作だったのではないか、ということがラストで明かされます。誰がリュカであり、誰がクラウスだったのか、そういったことがいきなりあやふやになって幕を閉じます。オチとしては、「ふたりの証拠」、原題でいうところの「証拠」”la Preuve”はなかった、といったところでしょうか。
2000年代は文芸批評界隈で「信用ならない語り手」というワードがブームになっていた記憶がありますけど、クリストフのこの三部作に顕著なように、「物語の語り手がどのように語るかということがその作品の構造自体に深く関わってくる」というある種技巧的な高まりが認知されつつあった(=ベストセラー作品で普通に見られるようになった)ということでもあるのかもしれないですね。
で、第三部『第三の嘘』では、二部までは常に超然とした美しさを讃えていた双子が、55歳のおじさんとなって登場します。そして、彼らはこれまでの双子とは異なっています。リュカは「不具」でみすぼらしく痩せており、クラウスは太っています。
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確か2章構成になっていたはずですが、一章をリュカが書き、それを託されたクラウスが二章に書き足します。双子は幼い頃に離れ離れになっているという点は変わらないのですが、それは十五歳ではなく、もっとずっと早い時期です。
一章は、リュカのテキストが『ふたりの証拠』の答え合わせをするかのような内容です。とある事件から家族と離れ離れになり、リハビリ施設入りしたのちに爆撃に遭い、国境を越える。そこでまったく新しい人物として生き、何十年も経ってから再び故郷に戻る。自分の街でホテルに暮らし、家賃が払えなくなるまでそこにいる。最後、警察に捕まり、本国(リュカにとっては異国ですが)に送還されるまえ、クラウスと再会を果たす。この章は「人物の再登場」という手法もあり、テクニカルな観点からも興味深いです。
第二章では、リュカのテキストを引き継いだ形で、とある事件からこれまた一人で生きていくことになったクラウスの人生が語られます。そして、なぜ第一章のラストでクラウスがリュカに対して冷淡だったのか、クラウス・リュカという筆名で詩人として大成したクラウスがどんなに苦々しい気持ちで人生に向き合っていたか、が解き明かされていきます。
『第三の嘘』は前二部作までの双子をキャラクターとして愛している人たちにとってははっきりってバッドエンドなのでそこが不満な方もいるようですが、僕としては三部作で次を読むことによって前作の読み味が根底から変わってしまうという仕掛けは、ハイレベルでした。ここまで綺麗に3コンボ決められないですよ。
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この三部作は絶対に最初から一つずつ読むべきですね。途中から読んでも面白さがちゃんと伝わらないので。20年間をあけてフィニッシュしましたが、アゴタ・クリストフはノーベル賞に値する第作家でした。終わり。