コーマック・マッカーシーは現代アメリカ文学を代表する作家で、フィリップ・ロスやトマス・ピンチョンなどと並ぶ作家と称されています。この二者と比べると日本での知名度は落ちる感じがしますが、2000年代に立て続けに映画化されたので、知ってる人はそれなりに知ってるかなという印象です。個人的に印象に残っている映画はコーエン兄弟監督の『ノーカントリー』。ハビエル・バルデム扮するシュガーという超怖い殺し屋が延々追っかけてくる怪作でした。
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で、本題の『ザ・ロード』なのですが、これはおそらくは核戦争か何かで滅ぼされたのだろう世界で逃げ延びようとする父と子に焦点をあてたSF作品です。
たぶん、すごく寒い世界で、親子は暖かい場所で徒歩で向かっています。ショッピングカートか何かを持っているので、そう遠くないアメリカが舞台のはず。生き残っている人口はとても少なく、出会う人々は味方であるよりも、敵である確率がずっと高い。そしてその敵は彼らを略奪したり、殺したり、食ってしまったり——そういう世界を親子は二人きりで歩いていきます。時には疑いや不安に諍いながら。
こういう状況の不安定さを、息継ぎのない独特の文体で描写していきます。
森の夜の闇と寒さの中で目を醒ますと彼はいつも手を伸ばしてかたわらで眠る子供に触れた。夜は闇より暗く昼は日一日と灰色を濃くしていく。まるで冷たい緑内障が世界を霞ませていくように。
コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』P.7、2010、早川書房
この過剰な息苦しさの中で息継ぎするように、ほっとするようなつかの間の平穏が親子に訪れます。そこで交わされる彼らの会話には、カギカッコもなく、やはりどこかしら息苦しいのですが、息子を愛する父と、滅びる前の世界を知らない弱い息子が織りなす対話がこの物語の寂寥を埋める数少ない声になる、というわけです。
ところで、ぼくは子供が生まれてから自分の小説の受け止め方が前とは明らかに変わったと感じています。それがいいことなのか悪いことなのかはよくわからないのですが、とにかく、ものすごく変わりました。
息子とは何かについて語るほど長く子育てをしたわけではないのですが、男親にとっての息子というのは、特別な愛情を向ける対象のような気がします。誰も父親が息子を愛するようには他の何かを愛さない。それ専用のモードがあるとでも言えばいいのでしょうか。
この『ザ・ロード』では息子はまだ幼く、とても痩せています。いつも怯えていて、夜通し咳をするほど弱っている。会話にはぎこちなさがあり、息子は明らかに母親の方に深い愛情を抱いている。それでも父親には息子が最愛の存在であって、彼のためにすべてを捧げる。ただでさえ苛烈な環境にも関わらず、父と子の緊張関係が物語の不穏さを強く響かせています。
もしあなたが父親で、息子がいるのならば、『ザ・ロード』はとても心動かされる物語になると思います。もちろん、息子がいなくても、女性でも、面白いとは思うのですが、もし男の子の父親なのであれば、ぜひ読んでほしい。色んな人が様々な人生を歩んでいますが、特定の状況で強い光を放つ作もあり、それが『ザ・ロード』なのではないか、ぼくはそんな風に思います。
楽しい話は一つもないのか?
もっとほんとのことっぽいかな。
パパの話はほんとのことっぽくないか。
パパの話はほんとのことっぽくないな。うん。
彼は少年をじっと見た。ほんとのことはそんなにひどいか?
パパはどう思ってるわけ?
まあそれでもお前とパパは生きているからな。ひどいことがたくさん起きたけどこうして生きてる。
うん。
それをすごいことだとは思わないんだ。
別にまあまあだよ。
前掲書、P.312
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