盗作で話題になった「美しい顔」を全く読んでないのですが、炎上しているので、その周辺の言説だけで僕なりの意見を組み立てます。
[429] [429] Client error: `POST https://webservices.amazon.co.jp/paapi5/getitems` resulted in a `429 Too Many Requests` response: {"__type":"com.amazon.paapi5#TooManyRequestsException","Errors":[{"Code":"TooManyRequests","Message":"The request was de (truncated...)
前提知識
- 「美しい顔」は東日本大震災についての小説で、群像新人賞を受賞しました。そのまま芥川賞候補になったので、僕のように新人賞受賞後すべての新人三賞(芥川賞、三島賞、野間文芸新人賞)からスルーされた作家からすると、大変よいスタートを切っていて羨ましいです。あと著者が美人ですし、「美しい顔って自分のことかい!」というツッコミポイントもいい意味で話題性がありました。
- どのような盗作が行われていたのかはAbemaTIMESの記事「芥川賞候補作「美しい顔」、ノンフィクションとの類似表現が独自検証で10か所超 それでも”著作権侵害”を問うのが難しい理由」が一番まとまっています。もっとも文壇から見下されそうな文化圏を築いているAmebaがメディアとしていい仕事をしたという事実には時代を感じますね。関連記事”吉岡里帆、ほっぺたぷぅ デコ出し“ちょんまげ”ヘアに絶賛の声「女でもキュン死」”とかですよ。
- 盗作発覚後、講談社とパクリ元の一つである新潮社の間で協議があったようなのですが、なぜか講談社が逆ギレPDFを発表して、このタイミングぐらいから味方が減っていったように思います。このPDFへのリンクはハフポの記事「美しい顔」の「剽窃」問題から私たちが考えてみるべきことにまとまっています。
- 盗作後、ご本人はSNSとかやっていないようなので、直接的に血祭りにあげられることはなかったようですが、批判の声が多いので援護の声があがりました。これはのちほど紹介します。
以上をふまえて、擁護のパターンとそれに対する僕の意見を書きます。
盗作部分があったのは瑕疵であり、直せばよい?
この安部公彦さんのツイートとかはそうなのですが……(スレッドになっているので、気になる人は続きをどうぞ)
北条さんの「美しい顔」(「群像」6月号)、断片的な情報から「盗作」と決めつけるコメントが出ていますが、石井光太さんの『遺体』を参照して私が思ったのは、「手続きミス」「資料のやや未熟な扱い」ではあっても「盗作」ではない、ということです。これを機に著作権の議論を深めてほしいです。 https://t.co/7fXuZE2riu
— 阿部公彦 ABE Masahiko (@jumping5555) July 3, 2018
AbemaTIMESの記事を見ればわかるように、ほぼコピペと見られる部分があります。
そこで改めて両作品を検討すると、”特徴的な表現”が争点になりそうな箇所も存在する。例えば『遺体』には「うっすらと潮と下水のまじった悪臭が漂う」という一文があるのに対し、『美しい顔』には「うっすらと潮と下水のまじった悪臭が流れてくる」というよく似た箇所がある。また、『遺体』の「チャックからねじれたいくつかの手足が突き出している」に似た「チャックから、ねじれたいくつかの手足が突き出していた」という箇所もある。さらに、遺体安置所に並べられた遺体の様子をミノムシに喩えた情景描写も一致している。
これは参考にしたというレベルではないので、普通に盗作でしょう。僕は結構おどろいたのですが、みんなそんなにコピペしてるんですか? twitterアンケートとった限りは有効投票20件ぐらいですが、普通しないようです。
みんなそんなに写してるのかな? 自分が書いた小説に他人の書いた文章を「明らかな引用」と判別できない形で写したことが……
— 高橋文樹『アウレリャーノがやってくる』 (@takahashifumiki) July 3, 2018
なので、この一点だけとっても僕はかなり厳しい処分(芥川賞辞退、群像新人賞取り消し)をすべきだと思います。理由としては「盗作を見つける」というのがかなり難しい作業であり、他の部分でしていない証拠はないわけですよね。もちろん、僕が盗作していない証拠もないのですが。そういう場合、「バレない限り盗作の限りを尽くし、バレたところだけ直す」というハックが可能になってしまうからです。文学賞や印税が作家個人に与えられる以上、他の作家の利益をパクろうとした人には厳しいペナルティを課す方がいいと思います。その上で、「この表現借りていいですか?」「いいよ! その代わり僕の本宣伝してね」ということをやればよいのでは。
なので、僕の結論としては「盗作という瑕疵が重大なので直してもダメ!」です。PL法と一緒ですね。今回は文芸評論をする人のうち「直せばよい」といっている人が多かったのでびっくりしました。
当事者性がないまま書いてよいのか?
前述の記事「美しい顔」の「剽窃」問題から私たちが考えてみるべきことでは蛮勇、つまり「敢えて取材しないで書いたから偉い・すごい」という擁護がありました。これは群像の選評でも書かれていたようですね。
別に当事者性がなくて書いてもよいと僕も思います。取材もいかなくたって書ける人は書けるでしょう。それは当然「勝手に書くな!」という人も出るでしょうし、ちゃんと調べないとアラも目立ちます。防衛策として「とりあえず現地行っとく」ぐらいはやってもいいんじゃないでしょうか。
いずれにせよ、これは最近Buzfeedやハフポなどで話題になる「文化的盗用」とかと同じで、似たようなことやってても炎上する人と炎上しない人がいるわけです。アメリカの女の子がプロムでチャイナドレスを着たとか、色々あるわけです。
「見てないのに書いちゃダメなら、何も書けない!」とか甘ったれたことを言っていないで、見てないのに書いても大丈夫なように工夫すればいいわけです。東日本大震災とか、つい最近の出来事なんだし、パクリ元の書籍もつい最近の出版物なんだから、そりゃ当事者が気付いちゃうでしょう。特に福島などは原発騒動で差別的な扱いを受けた(いまもあるかも)ので、可燃性が高かったですね。
まったく同じ物語構造で舞台を応仁の乱にすれば歴史マニア以外の敵はできなかったと僕は断言しますよ。羅生門に打ち捨てられた母の遺体からガマ軟膏でてきたとかね。
炎上に関しては火災防止と同じ観点で取り組んだ方がいいです。幼児とライターと灯油を近くにおいたまま外出しちゃダメ! 昨今のポリコレには息苦しいと感じることもありますが、そういう時代なんですよね。
まとめ
というわけでまとめると……
- 盗作は重大ペナルティにしよう!
- 当事者性なくてもいいけど、その分いろいろとがんばろう!
という感じですね。まあ、一行も読んでないんですけどね。あと、「剽窃の弁明」という本が面白いので、読んで見てください。おわり。