先日、Facebookのタイムラインに『すべては1979年から始まった 21世紀を方向づけた反逆者たち』という本を友人が挙げていたので、思わず買いました。自分が生まれた年にすべてが始まったと言われると、面白そうだなと思っちゃいますよね。
[429] [429] Client error: `POST https://webservices.amazon.co.jp/paapi5/getitems` resulted in a `429 Too Many Requests` response: {"__type":"com.amazon.paapi5#TooManyRequestsException","Errors":[{"Code":"TooManyRequests","Message":"The request was de (truncated...)
さて、この本はサッチャー、鄧小平、ホメイニ師、ヨハネ・パウロ二世の四人を軸に、「なぜ21世紀にこれほど市場と宗教が広まったのか」というテーマを追求する歴史書です。
「宗教が広まった」というのはわかりやすいですよね。アルカイダによる同時多発テロで21世紀は幕を開け、2014年にはイスラム国ことISISが実際に領土を実効支配するまでに至りました。
「市場が広まった」という表現は、知人に話したら「ピンと来ない」と言われたのですが、要するにアメリカのオキュパイ運動みたいな格差社会が訪れ、なにつくってるんだかよくわからないけれど時価総額のすごい企業があったりする高度資本主義経済のことですかね。
この宗教と市場という二つのものが台頭する前になにが力をもっていたかというと、共産主義です。直接は出てこないのですが、この本の主人公である四人が直面するのは、多かれ少なかれ共産主義とそれにまつわるものです。
たとえば、先進国としてIMFの介入という屈辱的自体に直面したイギリスは、労働組合によるストで社会機能が停止していました。そこにサッチャーが登場して、自由化の大ナタを振るいます。
鄧小平なんかはもろに共産党ですよね。
ヨハネ・パウロ二世が教皇になったということは、東方正教出身の教皇というよりは、共産圏の教皇であるということが大きかったようです。共産主義は基本的に宗教に対して否定的でしたからね。
中盤はわりとダレるのですが、「21世紀は資本と宗教が台頭する世紀である」という筋立ては僕にとって新しい視点だったので、面白かったです。
さて、話は変わりますが、この間、NHKでピケティの白熱教室を見ました。
その中で法人税率のグラフが出ていたのですが、1920年ぐらいまではどの国も法人税なんてなきに等しかったようです。それが、世界恐慌ぐらいから徐々に上がり始め、1940年〜1960年くらいまではけっこうどの国も高かったです。特に意外なのがアメリカで、戦中は80%近かったような気もします。
それが1980年ぐらいから下がり始め、いまでは30%ぐらい。アメリカと日本は先進国間で比べるとわりと低い方とはいえますが、1950年代の各国が軒並み70%超だったのと比べると、ほとんど誤差のレベルといっていいぐらいしか違わない印象でした。
1950年代といえば、アメリカではマッカーシズムとか赤狩りとかありましたが、現在のアメリカと比べると社会主義的な国家だったという印象です。共産主義と猛烈な勢いで戦っていた昔のアメリカは、唯一の社会主義国家と言われる現代の日本よりもはるかに社会主義的だったわけです。
支配的から超越的へ
僕が共産主義というものに対して抱くイメージは「科学的かつ支配的」です。たとえば、「計画経済」とか「五カ年計画」といった用語がわかりやすいのですが、共産主義というのはなにかをコントロールしようという志向があります。
単に科学的なだけであれば、「観察だけして答えは出さない」という態度もあり得るのですが、共産主義はなにかをコントロールするために科学的なアプローチを取ることが多いですよね。
それ自体が目的ではない科学は、容易に疑似科学に陥ります。スティーブ・ジョブズがガン治療を受けずに菜食主義で立ち向かおうとしたのも、僕には非常に共産主義的に映ります。経済を統制や管理によって支配しようとした共産主義と、食べ物によって身体をコントロールしようとするのはとても似ています。
もちろん、1990年代にソビエト連邦は崩壊したわけで、共産主義がどうもうまくいかないようだというのは明らかです。これは近現代という人類の歴史のごく短い期間にとって、一つの挫折だったのではないかな、と僕は思います。
自分たちはなにかをうまく支配できるという自負が打ち砕かれたわけですから。
そういう意味で、宗教という、より超越的なものを信仰する人が増えていくのはなにも不思議ではないですね。
僕もたかだか35年しか生きていませんが、人類的な企てが失敗に終わり、新たな企てを模索しているという歴史の節目に立ち会うぐらいは生きたのだな、という思いが湧いてきます。おわり。
[429] [429] Client error: `POST https://webservices.amazon.co.jp/paapi5/getitems` resulted in a `429 Too Many Requests` response: {"__type":"com.amazon.paapi5#TooManyRequestsException","Errors":[{"Code":"TooManyRequests","Message":"The request was de (truncated...)