かれこれ二年間も表舞台から遠ざかっている不肖・高橋ですが、そろそろ生活にも落ち着きが出たので、60枚ぐらいでストップしていた小説を書きはじめようと思っていたおりましたです、はい。
しかし、その矢先、衝撃的な事実が発覚しました。
それは第52回群像新人文学賞の受賞作「カメレオン狂のための戦争学習帳」の設定が思いっきりカブっていたことです。
まださわりしか読んでいないんですが、「徹底的に管理される教師たち」という設定が同じでした。今のところ面白そうです。群像の選考委員はすごい若返りを果たしていたんですね。
これまでの経験から、自分が既視感を覚えた時点でその小説はおそらくお蔵入りにした方がよいと判断、ゼロから書き直しております。
たとえ文体が異なろうと、登場人物のキャラクター設定が異なろうと、世界観が異なろうと、設定が似ているのはいかにもマズーですね。
こうなったのも僕がぐずぐずして作品を完成させなかったのが悪いわけですし、誰かが僕の邪魔をしていたわけでもないので、自業自得です。
新しい新人がボンボコ出てきては消えていくのが畏るべしニッポンの文壇、すでに不透明度40%ぐらいになっている僕はもうちょっとがんばらないといけませんね。
Flex Builderの使い方勉強してる場合じゃねー。
と、愚痴をいっぱい書いてしまったので、自分が小説を書き直すにあたって心がけていることでも書いておきます。
小説がカブったら
- 自分の小説とカブった小説、それぞれの内容・特徴を書き出して、類似度を再認識
- そもそも自分が何を書きたかったを知るために、自分で帯を書いてみる
- たとえそれまで何枚書いていようが、すべてを白紙に戻して書き始める
こんぐらいですかね。意外と普通だな。
ところで、僕はいわゆる「小説の書き方」ということについて身近な人と真面目に語り合ったことがありません。
「小説の書き方」について話していると、いつも「小説を書くときの心構え」とか「なぜ自分は小説を書くのか」ということについて相手が語り始めるので、面倒臭くなっちゃうんです。具体的な話が出たとしても、「書く時間」ぐらいだったりしますしね。朝だとか夜だとか。
いつだったか、昔の新潮で桐野夏生さんが「自分はタイトルから決めて書く」とおっしゃってましたが、そういう感じで明確なやり方を聞いたことはあまり記憶にありません。
僕はどちらかというと、いろんな方法を試したいタイプなので、作家が「こういう書き方してるよ」と聞くと、すぐ試すようにしています。
生活環境もコロコロ変わっていたので、何一つ身についていませんが、最終的にはプルースト部屋(すべてコルク張りで女中が食事を運んでくる)で執筆するのが今の夢です。
まとまりませんが、終わり。