仏教研究界の重鎮から「ブッダを貶めている」という主旨の抗議が版元に届き、かなり話題になった『ブッダという男――初期仏典を読み解く』を読みました。
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いままで知らなかったのですが、日本における仏教研究というのは、基本的に一切知悉(なんでも知ってる)である完璧超人であるブッダを、マジで完璧超人として捉えすぎているきらいがあるようです。著者はその点を問題視し、あくまで人間ブッダというか、「いくらなんでも全知全能ではないだろう」という点から仏典を研究すべきだという主張をしています。
どうも論争の契機になったのがこの「先行研究はブッダを完璧超人として扱うあまり間違った解釈をしている」という著者の主張のようで、本書の中でも著名な学者が名指しで批判されています。以前から著者は目をつけられていたようですね。
僕としてはこの批判自体には「そら怒られるやろうな」という気がしないでもないのですが、「コラッ!」と怒られるぐらいならともかく、出版社にまで出版停止の要請まで来るとなると、大変でしたでしょうね。仕事・学会などが関わってくると発言内容に制限がかかってしまうので、独立自尊を保ちたいところですが、それだとお金持ちしか論争できなくなってしまうので困りますね。やはり最後は匿名しかないか。
本書の内容に戻ります。本書では仏典の読み方を説明するとともに、これまで論争に上がってきたブッダについての争点を紹介します。
- ブッダは平和主義者だったのか
- ブッダは業と輪廻を否定したのか
- ブッダは階級差別を否定したのか
- ブッダは男女平等を主張したのか
これまでの仏教研究における「超人ブッダ」では、エクストリーム解釈によって全部オッケーになっていたのですが、人間ブッダだとそうはいかず、やはり当時の時代背景として当たり前のように女性差別していたわけですね。そもそも現代的価値観からブッダの価値を論じるのが無理筋ではあるのですが、ここら辺の齟齬(女性差別主義者であるブッダの教えにしたがうべきか?)には、現代社会における宗教の難しさがよく現れています。ブッダ死んじゃってるからキャンセルできないですしね。
個人的に面白かったのは以下の2点。
- アングリマーラの逸話が面白い。殺人鬼でありながらブッダの弟子になって悟りを開いたアングリマーラは、自分が殺した人の家族(=犯罪被害者)に「罪を忘れて悟りを開け」と説教しています。この現代倫理観からは肯定し難い哲学が東アジアにも受け継がれていると考えると、なんとも言えない気持ちになります。以前動画で「鈴木大拙の戦争協力について語るジジェク」というのを見ましたが、仏教の戦争協力については他にも読んでみたいと思いました。
- 仏典の成立について学べる。仏教は沙門宗教、つまり、バラモン教という当時の支配階級に対抗する新興宗教として出発しました。したがって、その思想の根底にはバラモン教の新しい部分(ウパニシャッド)がありつつ、それらを批判的に乗り越えようとしたのが仏教である、と言えるようです。僕は昔、聖書外典をかなり読んだことがあるのですが、正典として残るものと残らないものに興味があるので、仏教も少し調べてみようと考えています。
そんなわけで、日本人だからなんとなく仏教について詳しいはずですが、少し知ってみるとその冷徹な世界観には驚かされます。ただ、その冷徹さは我々の思想的源流にかなり深く入り込んでいるはずなので、たまには批判的に取り組んでみるのもよいですね。