破滅派のメールマガジンや破滅派公式Twitterアカウントでは告知してありますが、こちらでもお願いしておきます。
現在、破滅派のリニューアルをしています。大きく変わるのは以下の点です。
- これまでFlashによるバイナリデータでの公開を行っていたが、すべてテキストデータに変換する。
- 読者からのフィードバックをコメントや点数評価以外にも複数設ける
- 作者としてのアカウント登録〜公開までを誰でもできるようにする
上記の機能を実装するにあたって、読者ならびに作者の方に下記の質問に対する回答をいただけると嬉しいです。
- 作品への感想で読みたくなるようなもの
- 作者として嬉しい感想
- 作品に関する補助的な情報
- 作者として公開しても構わない情報
すぐ終わるので、ぜひご協力ください。
https://sites.google.com/a/hametuha.co.jp/po-mie-pai-xin-ji-nenganketo/
リニューアルに関する技術的な説明
このブログはけっこうWeb業界よりの人も読んでいると思うので、一応技術的なことも書いておきます。次のリニューアルの重要点とその眼目ですね。
1.データ構造の変更→文学へのデジタルなアプローチを可能にする
破滅派は僕がWebのこと何も知らない時期からつくりはじめたというのもあって、「Flashを作成して縦書きを実現する」という構造になってます。昔はてなで質問したことがあるのですが、今は僕ももう少し賢くなりました。「WordPressからePub書き出し」とかも二日ぐらいでモックアップは作れると思いますし、「WordPressの管理画面から入力したテキストを縦書き+フォント埋め込みで表示する」というのも実装経験があるので、マルチデバイス展開のアイデアも多少あります。まあ、ここら辺はユーザーにとって「便利だね」という程度の変更点ですね。
メインとなるのは、「破滅派に蓄積されたテキストを操作する」です。最近自然言語処理をコソコソ勉強していて(といっても、NLTKとかmecabとかそこら辺なのですが)、「データをテキストで持っていることの利便性」みたいなものを実装可能な機能まで落とし込めるんじゃないかというメドが立ってきました。これは企業秘密なので詳細を言えませんが、色々と面白いことをできるはずです。最近、何人かの文系ドクター達と話していて知ったのですが、日本の文学研究はほとんどデジタル化されていないらしいので、そういう意味でも先駆的な例になるんじゃないかと思います。
2.ソーシャル機能の実装→文学への新しい価値基準を提示する
ソーシャル機能についても、これまでは「OpnePNEにはこういう機能があって、WordPressにはこういう機能があって、うーん、どれにしよう?」みたいなレベルだったのですが、今ではプラグイン作成とかテーブル正規化とかMVCとか負荷分散とかも別に怖くなくなったので、ソーシャル機能を本気で実装してみようと思っています。
ただ、「いいね!」とか丸パクリしても、日の丸ITメソッドにしかならないと思うので、破滅派ならではのソーシャルを考えたいと思っています。アンケートの主眼は「文学へソーシャル機能を持ち込むことに対する既存ユーザーの抵抗感を探る」だったりします。
勢いのあるWebサービスというのは、人間のつながりに関する欲求をうまく可視化してみせたものです。Facebook(mixi)しかり、twitterしかり、zynga(gree,mobage)しかり。foursquareやlikedinもそうなんじゃないかなと思います。「つながりを重視したサービスか否か」でサービスの成否が決まる段階はもう5年ぐらい前にすぎていて、いまは「つながりをどう見せるか」という段階でみんなしのぎをけずっているなーというのが僕の素朴な実感です。文学も人々のつながりへの欲求とは無縁でいられない−−それをワーワーわめきたてても誰もついてこないというのがこの4年でわかったので、サクっと実装しちゃおうと思った次第です。
3.メタデータの充実→読者が無意識に読んでいるものを探る
これまで破滅派では、ある程度完成した作品をWeb上でアクセスできる形にしてぽこっと置いておくという形式をとっていました。これは単に技術的にできることがそれだけだったというのもありますし、それ以外のアイデアがなかったということもあります。
文学を志す者ならば誰でも「なぜ人は芥川・直木賞の受賞作を買うのか」という問題について考えたことがあると思います。これは非常に興味深い問題です。芥川・直木賞というのは文藝春秋の創業者である菊池寛が作った賞で、両賞にはそれぞれ設立意図に違いがあります。芥川賞は菊池寛の弟分である芥川龍之介の賞ですが、その賞の意図は有り体に言えば「純文学という無知蒙昧な大衆が理解できない高尚な芸術作品の販促活動」です。これは僕がそういった大衆蔑視をしているというのではなく、単に菊池寛がそう考えていたんじゃないかというだけの話です。一方、直木賞は芥川賞ほどの強烈なコンセプトはなく、作家を単なる職業人として考えた場合、直木賞の方がキャリアを積んでから受賞することが多いです。「村上春樹、島田雅彦、高橋源一郎、山田詠美が芥川賞獲れなかった問題」とか、「伊坂幸太郎が直木賞辞退した問題」とかいろいろありますが、なんだかんだいって両賞はあまたある文学賞の中でもっとも販促効果が高いはずですし、少なくとも「売上上昇率」という点に関しては「芥川賞受賞作」というのは純文学作品につく最高のステータスです。ノーベル文学賞より上だと思います。
ちょっと長くなりましたが、電子書籍の文学がいまいち流行らない理由の一つに「メタデータの不足」というのがあると思います。読者にとってみればいきなりWeb上に現れたデータに対してそれを読んでもいいのかどうかの判断は難しいですし、提供する側からしても「これには読む価値がある」というのを担保するのが難しいわけです。この問題を回避するには「すでに十分な評価を得た作品を電子化する」という決断を下さざるを得ないわけですが、現状を見る限りそれも結局はうまくいっていないようです。個人的にはスーツにネクタイを着用しているオッサンのコストを文学でペイするのはそもそも無理だし、ましてやその財源が出版社のだらしない格好をしたオッサンのコストを削って捻出したものならなおさら無理という問題があるとは思ってますが。
電子書籍というか、出版物でない文学を扱う場合、「これまでの”出版物としての文学”が持っていた価値」と「これまでの”出版物としての文学”が持っていなかった価値」の双方を考える必要があると思います。もちろん、価値というのは「ある/ない」という二項対立のようなモデルではなく、「どの程度?」という、よりプラクティカルな視点で考えなくてはなりません。
そうした視点で考えると、「メタデータの付与」について深く考察することは「出版が担っているもの」について考えることと同義です。読者は果たして作品の何を読み、何に価値があると判断したのか? これまで「◯◯は価値があるので文学賞を受賞した」という甚だ秘儀的な価値基準と「◯◯は100万部を売り上げた」という単純かつ定量的な価値基準、そして「◯◯には熱狂的またはレベルの高いファンが多い」というおそらくは関係者の実感レベルを超えない価値基準、その三つぐらいしかないと思っていた「文学の価値」に新しい指標を追加できたらと思います。
4.提示方法をコントロールする→公開と編集のフェーズを逆転する
破滅派同人はみんなプライドが高いので、「この作品とは一緒に公開されたくない」という要望がたまに来ます。僕は基本的に「まーまー」となだめすかすようにしています。
思うに、これは破滅派が単に時系列順で作品を公開しているから思うのであって、それは「WordPressという日記ツールに依存していて、それをあんまりカスタマイズできなかった」という技術的な制約なわけです。今ではだいぶ賢くなったので、導線を画面に落としこむとか、そういうこともできます。
たとえばニコニコ動画のトップページとかを見ればわかるとおもうのですが、新しさに特別な意味があるサイト(twitterとか)でなく、なおかつまともに導線を考えているサイトなら、新着をズラッと意味もなくトップページに挙げたりはしないわけです。コンテンツとして持っている(データベースに保存している)かどうかと、それを押す(ユーザーの目の付きやすい場所に置く)かどうかは、別問題なのです。
僕がスーパーマンであれば、導線設計をしつつ、コンテンツを吟味しつつ、コーディングをしつつ、データベースを設計することもできたでしょうが、ちょっと一人では無理だったんですね。コンテンツの吟味はユーザーに任せた方がいいとは思いますが、ほかはある程度コントロールできるようになったので、新しい編集フローを構築したいと思います。破滅派にとっての編集は「何を公開するか」ではなく「何を押すか」になります。
破滅派同人はわりと「編集したものを公開する」と考えている節があるのですが、Web文芸誌としてやっていくにあたっては公開してから編集した方がいいものができるんじゃないかなと思っています。というよりも、既存の文芸誌の編集者も別にバカが集まってやっているわけではないので、同じ方法を踏襲しても劣化版ができるだけじゃないかというのが僕の考えです。「公開してから編集できる」というライブ感において、出版は絶対にWebに勝てないはずですからね。
IT系の電子書籍で考えると、たとえば萩原剛志「詳解Objective-C 2.0」の初版を買った人は第二版を1,000円で変えるようにするとか、そういうのが考えられます。まあ、Objective-Cに関しては現在バブリーな感じもあるので、あえて別版でもう一回4,200円取ったほうが儲かるというのはあるかもしれませんが、Perlのラクダ本好きは別版出るたびに新しい版を買ってくれるというファンビーモデルを可能にしてくれるのが電子書籍だと思います。DRMとかいろいろめんどくさい問題は山積みですが、こうした単純な価値を読者にもたらすためにも、公開フローは「誰でもできる」がマストかなと考えています。ラクダ本とか、ある程度売上が見込める物(ですよね?)で冒険するのは難しいですが、いきなりWebで発信するなら新しい価値もつけやすいというもの。「更新は文学にとって何をもたらすのか」という問題は文学的に新しい問題です。
おまけ
ここ数年こういうことばっかりやってるので、「もう小説書いてないんですか?」と聞かれますが、僕は小説書く気満々です。ただ、Webにおける文学のあり方を考えて実践することはとても意義深いことだと思っているのでやっているだけです。柄谷行人『日本近代文学の起源』の中で漱石の言葉が引用されていますが、これと感じです。
小時好んで漢籍を学びたり。之を学ぶ事短きにも関わらず、文学は斯くの如き者なりとの定義を漠然と冥々裏に左国史漢より得たり。ひそかに思ふに英文学も亦かくの如きものなるべしと、斯の如きものならば生涯を挙げて之を学ぶも、あながちに悔ゆることなかるべしと(中略)春秋は十を連ねて吾前にあり。学ぶに余暇なしとは云はず。学んで徹さざるを恨みとするのみ。卒業せる余の脳裏には何となく英文学に欺かれたるが如き不安の念あり。(「文学論」序)
柄谷行人『日本近代文学の起源』講談社文芸文庫、1988年、P.18-19
それでは、長くなりましたがアンケートのご協力お願いいたします。
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『日本近代文学の起源』って講談社文芸文庫じゃなくて岩波現代文庫になったんですね…