久々に適当な世代論を考えました。コピペネイティブ世代は、創作に対する意識の持ちようがだいぶ違うのではないか、という話です。
なんでそんなことを考えたのかというと、先日、美人銭湯絵師がパクりで炎上したじゃないですか。しかもパクられた人もそれなりに有名な方ではあるわけで、「大舞台でそんなパクリかたする?」という驚きを持った人も多いかと思います。
ちょっと前に話題になった『美しい顔』の北条さんもそうですけど、「そんなパクる?」という驚きを覚えることがありますね。
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「大学生がレポートでWikipediaのコピペ出してくる」という話題もよく聞きますし、若者が劣化したというより、そういう「知的生産」のあり方がある年代からは普通になっているのでは、という考えを抱くに至りました。それがコピペネイティブです。息を吸うようにコピペする世代です。
昔はあんまりコピペできなかった
自分(アラフォー)以上の年代を考えてみると、なにかを創作するとき、そもそもコピペできませんでした。この「創作」というのは、読書感想文とか、自由研究とか、そういう学校でのやつも含みます。Googleもなかったのでそもそも参照すべきネタ元が極端に少なかったし、画像や音楽、映像などをコピペするのはかなり年を取るまで至難の技でした。ダビング機とか普通の家にないしね。
それがいま20代後半ぐらいの人だと、知的生産をするような年齢(小学校高学年ぐらい?)には検索&コピペするための環境が普通に整ってます。画像・動画・音声、全部Web上にあるからコピペも簡単。トレースもお手の物です。その年代の人がみんなコピペしてるわけではないでしょうが、たとえばコンクール的なものや、高校入試の小論文などで、コピペを使って良い成果を収めた人は、その前の世代に比べて増えているはずです。そうなると、コピペ成功体験を持ったまま大人になる人も相対的に増えます。大学入試や文学賞などの階段をコピペしながら登りきった人も出てこようというものです。
もちろん、ビフォアーコピペ世代も普通にパクってたと思いますが、いまほどコピペが簡単じゃなかったので、「そんなそのままパクる?」という印象をコピペネイティブに抱いてしまうんでしょう。ほら、銭湯絵師さんも手に持ってた虎の絵がいわゆるトレパク元とされていますが、あれもプリンタが普及してないとできないですからね。昔だったら模写してたわけで、模写したらそれはもう立派なオマージュですよ。
かくいう僕も創作活動をする身として、参考にすべきネタ元を探すことに余念がないわけですが、いかに「良さに比例した知名度がないネタ」を発見するか、という点を重要視してます。コピペネイティブの人たちはたぶん同じことやってるだけで、最後の手段がコピペだから「そんなそのままパクる?」ってなっちゃうんでしょう。
レアグルーブを探すコピペネイティブ
楽器を弾けるでも作曲できるでもなく、音楽に詳しいことでクリエイティブ感を出している人は昔からいました。いわゆる、音楽をディグってレアグルーヴを発見している人たち。DJ的といえばいいんでしょうかね。コピペネイティブも同じことをやっているだけでといえます。
ただし、コピペネイティブの新しいところは、DJと違ってバレない限りオリジナルなクリエイターでいられること。あと、バレてもあんまり悪いと思ってない感じがありますよね。パクったことが悪いと思っているより、「ネタ元が割れたことが格好悪いと思ってんだな」ぐらいの印象を受けます。
思えば、初期のツイッターにおける「パクツイ」も発明だったんでしょう。普通にリツイートしてたらネタ元が得をするだけですが、コピペという一手間をかけること——彼あるいは彼女の創作行為——で、1万RT超え連発の人気アカウントが出来上がるわけですから。いまでこそパクツイ発見のノウハウも溜まってきましたが、大半のユーザーはそんなこと気にしてないので、この状況はしばらく続くでしょう。
以前はこうしたコピパーたちに憤りを覚えていたのですが、いまでは育った環境の違いだと割り切ることにしています。僕も時代が違えばコピペ作品でデビューしていたかもしれないのだ。もっとも、僕がパクられたら普通に「金払えよ」って思いますけどね。終わり。