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沙村河内氏はゴーストではなくサロゲートを使うべきだった

高橋文樹 高橋文樹

この投稿は 10年半 前に公開されました。いまではもう無効になった内容を含んでいるかもしれないことをご了承ください。

沙村河内氏のゴーストライター問題で佐々木俊尚さんのツイートを見ていてふと思ったので、ゴーストライター問題について所感をしたためます。

佐々木さんの一連のツイートでゴースト是非論みたいなのが巻き起こっていて、出版業界にいる人達からは「いやそんなの普通だよ」という意見が出る一方、業界にあまり詳しくない方からは「許せん!」みたいになっていて、「今後は読者もそういうの気をつけていかないといけないよね」という話に落着しているように見受けられますが、思ったところは次の通りです。

ゴーストライターではなく、サロゲートライターにしたら?

特定の分野の知見に詳しい人が誰かに代理で書いてもらうのは全然構わないと思います。ある分野で優れた人が必ずしも本を書く能力を持っているとは限らないからです。そうした人がせっかくの知見を伝えられないのはもったいないし、誰かが代わりに書いてあげることでその知見が広まるなら、それはそれでおめでたいことであります。

ただし、その場合は明示的にクレジットをすべきだと思います。「執筆:誰々」みたいな感じで。

芸能人が書いた本などが顕著(松本伊代「私もまだ読んでないんですけど」)ですが、基本的に本を読む人は執筆者が書いたものと思うわけです。つまり、執筆者の声として受けとるのです。

大抵の人は「文章を書ける=頭いい!」みたいな評価を持ってますし(じゃなきゃタレントが得意げに作家という肩書きを掲げることはないはず)、一度でも本を書いたことがある人なら「すごい大変」という印象を持っていることでしょう。

つまり、真の執筆者が持っており、なおかつ書籍の執筆者としてクレジットされている著者が持っていないだろう「知的に大変なことやり遂げたという実績」を、著者は嘘によって手に入れるわけです。

そりゃ真実を知ったら、読者は「騙された!」と思うでしょう。普通の感情です。

これはその読者が知的かどうかということに関わらず、直感的なレベルの問題だと思うので、「鍛えろ!」と言われても無理です。

たとえば、僕が新潮新人賞を受賞したときの選評で阿部和重先生のこんな選評があります。

受賞作となった「アウレリャーノがやってくる」は、一節読むごとに、おまえ正気か? と作者に問いかけてしまいたくなるほどに、あまりにも青くさい自己陶酔的な表現が終始くりだされる。

『新潮』2007年11月号 P. 101

ポイントは、おまえ正気か? と作者に問いかけてしまいたくなる自己陶酔的な表現というくだりです。およそ少しでもまじめに文学を志した人間であれば、「語り手の主張は作者の主張とイコールじゃないよ」というのは当たり前の常識です。ちょっと賢い高校生でも知っています。まあ、作品から作者の意図を邪推するのは自由ですが。サルトルが「フロベールは婦人の髪の毛の匂いを嗅いでマスターベーションしていた」とかね。

阿部先生の選評でおまえ正気か? と作者に問いかけてしまいたくなるだけならば問題はないのです。「おいおい、こんなナルシシスティックな主人公嫌われちゃうよー」という作品構成上のアドバイスと取れるからです。

ただし、自己陶酔となると話は別です。自己陶酔の「自己」は作者高橋文樹なのか、主人公アマネヒトか?——語り手と作者を混同していないと言い切れないからです。

この受賞作『アウレリャーノがやってくる』の主人公は絶世の美男子で詩人です。となれば、その詩人がいかなる美貌の持ち主であり、いかに女にモテてきたかということは作品内に書くべき必然であるわけです。それに、美男子が主人公の小説がそもそも問題であるという通説もありません。

つまり、この時点で阿部先生は作品の主人公アマネヒトに対する形容を作者高橋文樹の自画自賛と混同している可能性が多いにあるわけで、もし仮に混同していないのならば、このようにどっちともとれる表現をするべきではありません

阿部先生は現在の日本の小説家の中でもかなり知的な部類に入る存在だと、僕は思っています。語り手のレベルが一筋縄ではない小説とかも書いていますし。

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その阿部先生がこのような錯誤につまづく可能性がある以上、「タレント本でゴーストライター使うの普通だから」とか出版業界の人が主張しても、読者から「裏切られた!」という感情は消えないと思います。

日本トップクラスの作家でさえ書かれていることを作者の声と取り違えることがあるというのに、それを読者に求めるのは酷です。というより、実現不可能だと思います。「勉強しなきゃね!」と安易に言うことは簡単ですが、読者には読書以外の人生があります。

僕個人としては、やはり本を書く能力がない人はそれを隠すべきではないし、隠すのは不誠実だと思っています。「本を書く能力があると思っていた人が実はなかったなんて」と落胆する読者はバカと思う感覚は異常です。

そういうわけで、代理に誰かに書いてもらう場合は、ゴーストライターつまり幽霊として隠すのではなく、この人が代理母サロゲートマザーだよ、サロゲートライターなんだよとクレジットすれば済む話です。

ただし、僕は『バカの壁』についてはクレジットなしでもオッケーだと思っています。同書は養老先生の大ベストセラーですが、これは実のところ語り下ろしです。たぶん養老先生は筆を動かしていません。ゲラチェックぐらいはしてると思いますが、実際に書いたかというと、書いてないと思います。

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同書の元ネタは養老先生の『唯脳論』なのですが、はっきりいって難しいです。というより、ちくま学芸文庫は全般的に難しいです。みんながこぞって読むような本ではありません。出版の経緯はまったく知りませんが、おそらく編集者が「養老先生のすばらしい思想をもっと沢山の人に知ってほしい!」という情熱でそういう形にしたんでしょう。もしかしたら、新書ブームの山っけもあったかもしれませんが。

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この場合、「実は養老先生書いてないんだって!」という事実を知っても読者のショックはそんなにないと思われます。だって養老先生はもっと難しい本書いてるから。お爺ちゃんだから書くの大変だろうし、そういう形もありだろうなって思うわけです。本当は書く能力がない人があったと偽っていたわけではなく、やろうと思えばやれるけどめんどくさいから語り下ろしなのですから、そういうこともあるだろう、という感じです。中田英寿が適当にサッカーやってても見るのは楽しいというのと同じです。

ここら辺の案配は大変微妙なところがあるので、あとはプロフェッショナルである出版界の人が読者に誠実だと思う形で適宜コントロールしておけばよいと思います。現場からは「そうはいっても知名度ない作家って売れないんだもん、それが市場のニーズなんだもん」という声が聞こえてきますが、それって「だってユダヤ人で石けんとかランプシェード作らないといけなかったんだもん、それが総統閣下のご意向なんだもん」とナチス将校が言うのと何が違うんですかね。

願わくば、外部(ex. テレビタレント)の知名度を使った本しか売れない志の低い編集者ではなく、読者や作家に対して誠実である編集者が報われんことを。

沙村河内氏の仕様書よくできてるよ

今回の騒動の中で、特にIT業界関連の方は沙村河内氏の仕様書が外部設計書としてかなりマシな部類に入っていたと思われたのではないでしょうか。少なくとも、僕はそうです。

外部設計書というのは、プログラムの細かいところがわからないクライアントに対して「こういうことですよね。あってます?」といって提出する書類です。プログラムの内部についてはまったく書きません。こういう画面になるとか、こういう手順で操作できるとか、そういった素人でもわかる内容の資料です。これは普通、顧客は提出しません。依頼された側が作ります。

それで、いや違う、もっと夢のある機能を! 楽しくなきゃダメなんだ! 簡単じゃなきゃユーザーは使わないんだよ! プロなんだろ? 俺の言うことわかってよ! とか、そういう不毛な議論を重ねて資源ゴミを量産していきます。で、それだけで見積もりウン十万とかになるわけですが、なんかこう……お金って意味のないことに使われてますね。

で、ですよ。沙村河内氏の書いたような仕様書が、もしもプログラムについてまったくわからないクライアントから出て来たとします。僕なら「ムムム……できる!」と叫びますよ。ホントに。最高にクールでオーサムなWebサービスが作れますよ。

小説とかも、編集者が筋考えて文章直してるんじゃないかと思っている読者の方がいるでしょうが、ほとんどないです。ハウツー系の、小説の皮をかぶった実用書は知りませんが。

赤入るのって文章量の数パーセントですし、大半は校正(ex. ◯◯川を北から眺めると右から左に流れていますが、この表現でよろしいですか?)です。こういった校正については出版社の凄みを感じます。

あとはなんかぼやっとした指示が入ってたり、「編集長が直せといってるので直して」みたいな政治的指示が書いてある感じです。プーチンが柔道やるときに組み手相手に「内股で一本取られろ」って指示だしとくのと同じですね。

小川洋子先生の『妊娠カレンダー』のあとがきか何かに、「編集者がどうしてもある一文にオーケーを出さなくて、山ノ上ホテルでまんじりともせず何時間も過ごし、最終的に書き直してオーケー出たサンキュー」みたいなことが書いてありましたが、そんなのクリエイティブなことないですよ。ないない。都市伝説。滅多にないから書くわけです。

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ブラよろの先生も書いていましたが、編集者って作品の内容についてはそんなに関わってないですよ。「去年までゴシップ誌にいた人が今年から文芸誌」という状況は大手出版社では日常茶飯事ですよ。そんな人と作品の内容を議論しても意味ないじゃないですか。去年までCobolのプロジェクトでプロマネやってた人とRubyのソースコードレビューするようなもんですよ。

実用書、ムック、新書なんかだと「最終的に校了に間に合わせるために編集者が勝手に書き直す」ということもあるかとは思いますし、「この表現パンピーにはわかり辛いです! もうちょっと詳しく」とか、そういう書き方指南はあるでしょう。が、文芸や漫画などのエンタメ系ジャンルで具体的なアドバイスが降りてくることはほとんどありません(稀にクリエイターコンプレックスの編集者がわけのわからん暴走をして絵に筆を加えるという事故は起きてると思いますが)

そういうわけで、沙村河内氏はプロデューサーとして大変希有な能力を持っていたと思います。問題があるとしたら……

  1. 障碍者だって嘘ついてた
  2. 作曲者を尊重しなかった(名前を隠すなら隠すで、それ相応の金銭的対価を提供すべきだった。作曲者 8:2 沙村河内とか)

上記2点につきると思います。もっとも、障碍者云々はすぐに障碍者で御涙頂戴しようとするテレビ業界の問題でもありますので、一連の報道を見て「なに被害者ぶってんだよ」という思いもありますが。

いずれにせよ、どの業界に限らずクリエイターというのは尊重してほしいですね。僕はこれまで日本最高クラスの作家を30歳そこそこの編集者が陰で罵倒する場面に何度も遭遇してきましたが、そういうとき本当に悲しくなります。自分ががんばっても辿り着けるかどうかわからない場所にいったとしても、こうやって陰でバカにされるのか、と思います。作家は編集者の敵ではないし、作曲者はプロデューサーの敵ではないはずです。

僕自身、他の作家をけなすことがありますが、それは同業としてのライバル心からそうしているわけです。その道に進まなかった人には、嫉妬する資格さえありません。

僕は文学部出身なので、同級生には出版社に就職した友人達が多くいます。彼らが高名な作家を安い金額で「使っている」つもりになっているのを見ると、本当に空しくなります。君たちにはそんな資格などないのだ、君たちは文学から逃げたのだから、文学に携わり続けるという苛烈から逃げたのだから、と。

以上、ちょっと長くなりましたが、文芸/芸術という近しい場所に身を置いている者として思うことがあったので書いてみました。最後に読み返してみて、自分のような人間が干されるのは必然だったのだな、と思いましたね。終わり。

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