最近盛んに出版されているフェミニズム関連の書籍で気になったので読んでみました。
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当初はこれが単なる告白本ではなく、「性被害者であり研究者でもある著者による本」という点が興味深かったので手に取りましたが、どうも著者の専門は「修復的司法」と呼ばれるものであるようです。
修復的司法(しゅうふくてきしほう、英:Restorative Justice)とは、当該犯罪に関係する全ての当事者が一堂に会し、犯罪の影響とその将来へのかかわりをいかに取り扱うかを集団的に解決するプロセス、又は犯罪によって生じた害を修復することによって司法の実現を指向する一切の活動を言う。
Wikipedia 修復的司法
通常の司法では国家権力(司法機関)によって罰が与えられます。修復的司法では、第三者による報復代行ではなく、主に当事者同士の和解をもって回復(making right)することを目的とします。
著者の小松原さんがこの「修復的司法」に興味を持ったのは他でもない19歳のときに受けた恋人からの性暴力に端を発しています。司法関係の研究では当事者が研究することについて否定的な意見も多く、しかしそこれこそが著者にとって不満だった、ということも書かれています。
自助グループにおける回復を経てもなお、筆者はジャック・デリダの哲学に現れる「赦し」の概念に惹かれます。一般的に回復とは、その事件と心理的に距離を取ることであり、憎しみと赦しはその事件の火中にいるのと同じだそうです。実際、筆者はあまりに強い自分の憎しみを恐れ、「このままでは自分は犯罪者になってしまう」と加害者との対話を試みますが、良い結果には終わりません。
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著者はやがて修復的司法研究に惹きつけられ、研究を志すようになります。性暴力の多くは知人同士であり、密室で目撃者のいない状況で行われます。道を歩いていたらいきなりレイプされて、というケースもあるでしょうが、知っている人から性加害を受けるケースがほとんどなんですね。だからこそその回復には修復的司法が役立つはずだ、という強い確信を持ったのは、著者が他でもない当事者だからでしょう。
学会でのカミングアウト、「修復的司法」の先行事例である水俣病運動への関与などを経て本書は著者の「ナラティブの獲得」で幕を閉じます。
面白かったのは、途中で著者が小説投稿サイトへの投稿に夢中になるところ。ちょっと前に『Deep Love〜アユの物語』や『恋空』がブームになったことを覚えている方も多いと思いますが、「主人公がレイプされたり恋人が死んだりする」というネタの小説は女性を中心に根強い人気があり、エブリスタなんかではいまでも投稿されてたりするんですよね。著者はアカウント名こそ明かしていないものの、そこでの投稿によって筆力を身につけていきます。他人から見たらくだらなく思えるものでも、ある人々にとっては切実なものだというよい例でしょう。
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言うなれば本書は「当事者であり研究者である著者が語るための言葉を見つけるまでの道のりを記した本」と言えるのではないでしょうか。学術書やエッセーというより、一つの成長小説のような読み味があります。
もうちょっと「当事者が嘘をつく」ということについての解説が多いのかと思っていたので、「当事者は語れない」とかの方が実態に近いかな、と思いました。終わり。