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ものすごく整って、ありえないほど無意味

高橋文樹 高橋文樹

この文章を読んでどう思いますか?

透明な悲しみが無言で加速している午後三時の静脈
柔らかい論理が右肩上がりに納豆を編集する
概念的な抹茶が次第に縦方向へ飛躍してゆく
たしかに昨日、抽象が味噌を通り越して躍動してましたよね?
本研究では、非対称的な曖昧性が認識的ベクトルに与える擬似的影響について検討する

「これは詩だ!」と思ったあなた、バカですね。これは僕がChatGPTに命じて書かせた「文法的には間違っていないが意味のない文章」です。チョムスキーの有名な “Colorless green ideas sleep furiously.”(無色の緑の観念が猛烈に眠る)を元に書いてもらいました。

とはいえ、これらの別々に書かれたはずの5つのセンテンス(5個考えろといったので)も、日本食(とくに大豆方面)に偏っており、おそらくはChatGPTが学習した「この質問してくる奴は日本人」というデータに依存しているのでしょうから、完全に無意味というわけではなく、「これは詩だ!」と思ったあなたの感覚もあながち間違っていないのかもしれません。そういう意味で、バカではないかもしれません。バカといってごめんなさい。

生成AI・イズ・マッサージ

さて、本題です。ここ数年、生成AIに書かせた一連のコンテンツを「すごい!」と見せてくる人が増えてきました。その生成AIコンテンツが素晴らしいかどうかはさておき、僕が気になるのは「なぜ皆はこんなにも得意げかつ嬉しそうなのか?」という点です。なぜいい大人が「見て見て!」と子供じみた見せ方をしてくるのか。

書式上まとまった「一連のテキスト」「表」「グラフ」をなぜ人は嬉しそうに見せてくるのか? 人間はフォーマットが整っている情報を見せられると、その中身はともかく、その「整い」それ自体に快感を覚えるのではないか?

これは人間の認知能力を考えると当たり前で、人間は情報を処理する際の効率をあげるために、いろんなものをはしょっています。そのはしょり、つまり合理化のヒントの一つにフォーマット(書式)があります。なぜならフォーマットは見た瞬間に(at a glance)理解可能だからです。整ったフォーマットの情報は、それだけで「これだけ整っているなら少なくともキチ◯イではないな」という判断ができます。

整った書式は我々にとって心地よい。マクルーハンが「メディアはメッセージである」というフレーズのセルフパロディとして『メディアはマッサージである』という本を出したように。

メディアはマッサージである: 影響の目録 (河出文庫 マ 10-1)

価格¥1,380

順位220,176位

マーシャル・マクルーハン, クエンティン・フィオーレ

翻訳門林 岳史

発行河出書房新社

発売日2015 年 3 月 6 日

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なんらかの資料を作成したことがある人はエクセルやパワポでフォーマットを作る時に「なぜ自分は何回もインデントを揃えているのだ?」という苦しみを覚えているでしょう。それどころか、その「フォーマットを整えることこそが自分の原罪だ、この苦しみを私はパンに変えて日々を生きるのだ」という人さえいるでしょう。生成AIはその「苦しみ」を解放し、あたかも「本当に自分が表現したかったこと」を示してくれているように思えるからこそ、「見て見て!」という気持ちが生まれるのではないか。

整いの民主化がもたらす変化

こうして誰でもある程度整った文章を生成できるようになる、つまり整いが民主化すると何が起きるかということを少し考えてみました。

整った文章を生成する能力が民主化(=陳腐化)すると何が起きるかというと、まずは官僚主義の衰退ですね。

官僚主義(Bureaucracy)はその語源に “Bureaucracy”(机、事務所、役所)を含むことからわかるとおり、形式を整えたものをよしとする形式主義の社会実装といえます。たとえば、年末調整が典型的ですが、役所の書類は整ったA4の書類としてまとめられており、住所・氏名などのほか、なんらかの選択肢(勤労学生であるか)などが用意されています。これらの書式は役人が一生懸命考えた法的に有効なフォーマットなのですが、必ずしも書きやすいとはいえないですし、そこに当てはまらない人がどうしたらいいかも網羅されていないことが多いです。

しかし、法的に有効な書式として認められているので、この形式主義は権力を持ち続けてきました。「世間的に偉くなる」方法として「官僚になる」が科挙の時代から存在していますが、その試験がペーパーテストであることを考えると、そうした書類作成能力(情報を整理する能力)が社会を運営する上で重要であるとみなされているのは明らかですね。

このなんとなくちゃんとしてる形式上で正しい文書が誰でも作れるようになると、その優位性はなくなります。実際、ChatGPTなら東大文Ⅰにも国家公務員試験1種にも受かるのでしょう。では、官僚主義が衰退したとして、何が力を持つのか。

ちなみに、いまユヴァル・ノア・ハラリの『NEXUS』をAudibleで聞いているのですが、ちょうど官僚主義と情報ネットワークの話が出てきて、タイムリーでした。僕も世界的知性に近いところにいるようです。やったね!

NEXUS 情報の人類史 上 人間のネットワーク

価格¥1,980

順位145位

ユヴァル・ノア・ハラリ

翻訳柴田裕之

発行河出書房新社

発売日2025 年 3 月 5 日

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官僚主義が終わった夜に

では、官僚主義の価値がなくなったあと、なにが価値を増すのか。

色々考えて見たのですが、ベタに「誤りを見抜く能力」ですかね。僕もコードレビューやイシューの精査などをすることが多いのですが、「自分がやったって書いてるけど、これAIちゃうんか」みたいなものを精査するのはいまいち気が乗らないのですが、「これこそが令和のスキルなんだ!」と自分を納得させています。以前は「自分の作ったものに責任を取る」のが立派な仕事とされていましたが、生成AIで作ったものと人間で作ったものの区別ができなくなってきました。これは、生成AIの質が高くなったというだけでなく、嘘つきも混じっている(「生成AIで作りました」と言わない)ことも一因ではあります。そうすると、間違い探しが立派な仕事とされるのは致し方ないことなんでしょうね。生成AI全ブッパで成果物出してきて「自分が責任取ります!」というバカだか敵だかわかんない奴を防ぐには、「いや、ここ間違ってますよ」というしかないですもんね。

とはいえ、AIも自問自答によってアウトプットの品質を上げるらしいので、この間違い探し力を上げることがどれだけ価値を保てるかもわからないですけどね。ホワイトハッカー(セキュリティ・エンジニア)の給与はかなり高く、増加傾向らしいですが、それもいつまでもつのやら。

2027年にはAIが新しいものを作る生産性が人間を超える(Anthropic’s vision until 2027: from Assistants to AI that solves challenging problems for humans.)そうなので、そうなると誤りを見つけるのはめちゃくちゃ大変そうです。「アメリカ大陸の先住民がヨーロッパに支配されたのは大陸が縦長だったからだ!」みたいな、ジャレド・ダイアモンド的な博学(『銃・病原菌・鉄』)が求められそうです。そうなると、就職するまで学位四つぐらいとらなきゃいけなくて、新卒の平均年齢が35歳、みたいな未来が訪れるんですかね。子供が四人いる僕はどれだけ稼がなくてはいけないのですか?

僕としてはそのときまでに逃げ切りたいのですが、NISAのS&P500は第二次トランプ政権誕生によって目減りしてしまいましたし……。誰か五億円ください。

 

そんなわけで、不安と期待の入り混じった2025年ももう半分終わりました。みなさんも、Claudeが人類を超えるタイムリミットの2027年まであと一年半、何が将来設計に役立つかを存分に悩んでください。いまのところ、「間違い探し力を鍛える」が有力そうです。けっきょくはカール・ポパーの「反証性」みたいなことなんですかね。

というわけで、終わり。

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

価格¥2,530

順位99,382位

ジョナサン・サフラン・フォア

翻訳近藤 隆文

発行NHK出版

発売日2011 年 7 月 26 日

タイトルはこれからとりました。

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