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	<title>高橋文樹.com &#187; 読書日記</title>
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	<description>小説家高橋文樹が自ら情報を発信するブログです。小説・Web制作などの話があります。</description>
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		<title>著作権は出版産業が見た一夜の夢だったりして</title>
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		<pubDate>Sun, 29 Apr 2012 00:33:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>高橋文樹</dc:creator>
				<category><![CDATA[読書日記]]></category>
		<category><![CDATA[中国]]></category>
		<category><![CDATA[出版]]></category>

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		<description><![CDATA[実はここ数日、文芸以外のとある芸術的なジャンルのお仕事を依頼されていたのですが、あまりにも話が大きくなってしまい、僕では無名すぎてダメということでポシャってしまいました。地球を救うためのZ戦士を選んでいたら僕だけチャオズ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>実はここ数日、文芸以外のとある芸術的なジャンルのお仕事を依頼されていたのですが、あまりにも話が大きくなってしまい、僕では無名すぎてダメということでポシャってしまいました。地球を救うためのZ戦士を選んでいたら僕だけチャオズだったという悲しいお話です。</p>
<p>まあ、それは過ぎたことなのでもういいのですが、そのお仕事の舞台というのが中国だったのですね。中国といえばパクリ大国というのは皆さんご存知の通り。良いモノがあったら即パクり、それを非難されると「いいものがあったら真似するのは当たり前」と言ってはばからないらしい、ということを見聞した人も多いでしょう。海賊版については周知の通り。</p>
<p>コンテンツを提供する側でも半ば匙を投げているところがあるそんな国でオリジナリティを発揮するにはどうしたらいいかと考えていたのですが、それがそもそも間違った考えだったのではないかということを、お仕事がポシャってから思うようになりました。</p>
<p>というのも、つい先日『剽窃の弁明』という本を読み終えたのですが、その中で興味深い節に出会ったのです。</p>
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<p><em>価格: </em>￥ 2,520</p><p><em>著者: </em>ジャン=リュック エニグ</p><p><em>クリエーター: </em>Jean‐Luc Hennig, 尾河 直哉</p><p><em>出版社: </em>現代思潮新社</p><p><em>出版日: </em>2002-02</p><p><em>商品カテゴリー: </em>単行本</p><p><em>ページ数: </em>222</p><p><em>ISBN: </em>4329010127</p>
<hr class="tmkm-amazon-clear" />
</div>
<blockquote><p>このように、剽窃にたいする厳しい非難にはひとつの歴史があり、その歴史は本質的に書店をめぐる歴史だったのである。<ins>中略</ins>事実、剽窃が専門的な仕事の対象になり始めたのは、そして、それまで不正でないどころか望ましいものでさえあった盗みを人が訴えるようになったのは、十九世紀初頭からのことにすぎない。<cite>ジャン＝リュック・エニグ著・尾河直哉訳『剽窃の弁明』現代思潮新社, 2002年, p.101</cite></p></blockquote>
<blockquote><p>剽窃を成功させるためには剽窃するだけでよいなどとだれが言ったのか？ めくら滅法に木を拾ってくればヴァイオリンになるとでもいのうだろうか？ たとえそれがカエデ材であっても。〈剽窃自体が問題ではない。すべてはそこからなにを作るかに懸かっている〉。規則はこれだけ。だから、剽窃者の関心は際だつことにある。<cite>前掲書, p.111</cite></p></blockquote>
<blockquote><p>「書くとは、淫売をすることです。色目を使いい、自らの体を売ることです」とヴィオレット・ルデュックは言っていた。今日、いくにんかの作家たちのナルシスティックな思い上がりは滑稽に見えないだろうか？ かつて、自由に作品の流通する時代があった。歴史上おそらく最も長い時代だったろう。作品を公開しているいじょう、与られているも同然、配られているも同じことと考えられていたのだ。<cite>前掲書, p.147</cite></p></blockquote>
<p>出版というものが大きな産業になるとともに、書店側の圧力からオリジナリティが尊重されるようになったというのはある意味頷けるところがあります。</p>
<p>3, 4年前だったと思うのですが、朝日新聞の特集で中国の出版がいま激アツだということを読んだ覚えがあります。スクラップしたので家のどこかにあるとは思うのですが…… とにかく、長い間政府による統制が続いていた中国では、出版が斜陽産業となりつつある日本とは異なり、出版市場は成長産業だそうです。これを逆に考えると、「中国には近代的出版産業は存在していなかったのでオリジナリティを尊重する文化はまだそもそも生まれていない」ということになるのではないかと。これはおそらく出版に限らず、利益追求型メディアが存在することが著作権の生まれる条件なのでしょう。</p>
<p>現在の日本を考えてみると、この「利益追求型メディア」が少しずつ弱まっている状況です。となると、当然著作権を尊重する圧力は弱まるわけであり、著作権自体も弱くなって行きます。二次創作文化が大きな勢力になりつつあるのは、文化的階梯を駆け上がっているというよりは、売る側と買う側のパワーバランスが変わった結果に過ぎないとも言えます。</p>
<p>マクルーハンは地球村という概念を導入していますが、人類がよりクールな状態へ移行して部族化していっていると仮定すると、著作権がなくなるのはそんなに悪いことではありません。コミュニティAとコミュニティBが利益相反することなく存在しうるならば、お互いのパクリを容認するという状況が生まれてもおかしくないですからね。現時点でも具体例は見つかるんじゃないでしょうか。</p>
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<p><em>価格: </em>￥ 1,260</p><p><em>著者: </em>W.テレンス ゴードン</p><p><em>クリエーター: </em>W.Terrence Gordon, 宮澤 淳一</p><p><em>出版社: </em>筑摩書房</p><p><em>出版日: </em>2001-12</p><p><em>商品カテゴリー: </em>文庫</p><p><em>ページ数: </em>223</p><p><em>ISBN: </em>4480086684</p>
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</div>
<p>あまり遠い未来のことを考えてもしょうがないですが、「著作権を尊重する感情はかなり特殊な文化環境において発生する」と考えた方がいいのかもしれないですね。著作権というものは「古代アステカで少女が生贄にされていた」とか「中世ヨーロッパの神父は村娘の処女を貰う権利があった」とか、そういう類のものなのかもしれません。</p>
<p>昔、作家を志す友人が太宰治の文章を読んで「俺が書いたことにしたい」と言うのを聞いた時は「未開人のような奴だ」と思ったものですが、あれは<strong>僕の中の近代</strong>がそう思っただけだったのでしょう。</p>
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</ol></p>]]></content:encoded>
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		<title>忠実なファンは1000人で足りるか〜電子書籍時代の皮算用〜</title>
		<link>http://takahashifumiki.com/literature/reading/1813/</link>
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		<pubDate>Tue, 20 Dec 2011 03:00:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>高橋文樹</dc:creator>
				<category><![CDATA[読書日記]]></category>
		<category><![CDATA[お金]]></category>
		<category><![CDATA[電子書籍]]></category>

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		<description><![CDATA[先日、達人出版会という電子書籍出版社から『ケヴィン・ケリー著作集１』が出ていたのでダウンロードしてみました。これはその雑感です。 『ケヴィン・ケリー著作集１』の見所 ケヴィン・ケリーという人はWIREDというアメリカの週 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>先日、達人出版会という電子書籍出版社から『<a href="http://tatsu-zine.com/books/kk1" target="_blank">ケヴィン・ケリー著作集１</a>』が出ていたのでダウンロードしてみました。これはその雑感です。</p>
<h2>『ケヴィン・ケリー著作集１』の見所</h2>
<p>ケヴィン・ケリーという人はWIREDというアメリカの週刊アスキーみたいな雑誌の元編集長です。PLAYBOYやEsquireと同じように日本オリジナルの記事と原書翻訳の混じった日本語版も出していましたが、休刊してから最近復活しました。ちなみに、サイゾーを作った人はWIRED日本語版の編集長だった人です。</p>
<p>で、このケリーさんはわりと含蓄のある人で、技術系の話題を中心としながらも広い視点に基づいた記事を書いています。この著作集はその記事を<a href="http://memo7.sblo.jp/" target="_blank">堺屋七左衛門</a>という方が<a href="http://www.genpaku.org/" target="_blank">プロジェクト杉田玄白</a>への参加活動の一環として翻訳したものです（偉いですね）。ぼくにとってとりわけ興味深かったのは以下の記事です。</p>
<ul>
<li>千人の忠実なファン</li>
<li>忠実なファンの支援による生計の実態</li>
<li>千人の忠実なファンの反例</li>
</ul>
<p>「千人の忠実なファン」はわりと話題になったので、知っている人も多いと思います。</p>
<h3>それほど多くなくていいはずの忠実なパトロン達</h3>
<p>技術的なことに明るくないはずの人たちも一度は「ロングテール」という言葉を聞いたことがあると思いますが、「千人の忠実なファン」モデルはこの「ロングテール」モデルが見通している問題に対する一つの回答です。</p>
<blockquote><p>よく知られているように、ロングテールは2種類の人々にとって良いニュースである。一つは、少数の幸運な集積業者、たとえばアマゾンやネットフリックス。もう一つは60億人の消費者。これら2種類のうち、消費者のほうが無限のニッチに隠れている財産からより多くの恩恵を受けていると思う。</p>
<p><cite>前掲書 「第2章　千人の忠実なファン」</cite></p></blockquote>
<p>ぼくはリアルタイムで読んでいませんが、ロングテールという当時もてはやされたバズワードに対し、新しい視点を提供したケリー氏の意見はおそらくインターネット本来の自立的な個の意識を尊重しているという意味で、わりと話題になったと思います。</p>
<p class="message notice">ちなみに、哲学者スラヴォイ・ジジェクはインターネットに不可欠のネットワーク規格であるイーサネットについて、おもしろい語源解説をしています。いわく、Ethenetの語源はEter（エーテル＝光を媒介する元素＝魂が最後に辿り着く汚れなき場所）だそうです。つまり、イーサネットを経由してインターネットに入った人は魂のみとなる、開発者達はそう願って名付けた、という詩的な指摘ですね。</p>
<p>こうしたケリー氏の指摘を図示したものが同書に載っています。</p>
<div id="attachment_1815" class="wp-caption alignnone" style="width: 602px"><img class="size-full wp-image-1815" title="前掲書 「第2章　千人の忠実なファン」より" src="http://s.takahashifumiki.com/wp-content/uploads/2011/12/IMG_0805.png" alt="前掲書 「第2章　千人の忠実なファン」より" width="592" height="361" /><p class="wp-caption-text">前掲書 「第2章　千人の忠実なファン」より</p></div>
<p>プレイヤーごとにまとめるとこんな感じですね。</p>
<table>
<thead>
<tr>
<th>プレイヤー</th>
<th>100万人のファン</th>
<th>1000人のファン</th>
<th>1人のファン</th>
</tr>
</thead>
<tbody>
<tr>
<th>ディストリビューター（ex. Amazon）</th>
<td>儲かる</td>
<td>儲かる</td>
<td>儲かる</td>
</tr>
<tr>
<th>アグリゲーター（ex. 出版社）</th>
<td>儲かる</td>
<td>儲からない</td>
<td>儲からない</td>
</tr>
<tr>
<th>クリエイター（ex. 作家）</th>
<td>食える</td>
<td>食える</td>
<td>食えない</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>このように、インターネットの時代において、忠実なファンのレベルをある程度獲得すれば、これまで食えなかった制作者が食えるようになるという大変心強い意見でした。</p>
<h3>1000人（以上）の忠実なファンがいる作者の実例</h3>
<p>この『ケヴィン・ケリー著作集１』をいま改めて読んでみると、きちんとフォローアップがされていることが興味深いです。なんでもそうですが、話題になったものの続編はあまり話題にならないのが世の常。その中、ケリー氏は果敢にも、あるミュージシャンの具体的なケースを紹介しています。ケリー氏の主張する「1000人の熱心なファン」モデルに則って活動しているそのミュージシャンは、自説を裏付ける制作者へのインタビューに興奮するケリー氏をなだめながら、このように主張します。</p>
<blockquote><p>自分でささやかな避難壕を掘るための新しいツールがあっても、飢えたアーティストはたぶん飢えたままだろう。でも過去にそうであったように、一部のアーティストはそのツールを使って砂の城を、すなわち偉大な芸術作品を作ることだろう。</p>
<p><cite>前掲書「第８章　忠実なファンの支援による生計の実態」</cite></p></blockquote>
<p>このアーティスト、ロバート・リッチ氏の意見には含蓄があります。あたらしいツールが登場したからといって、まったくアーティストではなかった人が完全なアーティストになれるわけではありません。Webは誰でも作品を発表できる場を提供してくれましたが、プロモーションは大変ですし、Twitterで大量のフォロワーを集めているのが有名人であることを鑑みても、包丁が変わったからといって料理がうまくなるわけではないということでしょう。</p>
<h3>価格の側面から</h3>
<p>同書にはこれまた興味深い記事があります。「第９章　千人の忠実なファンの反例」です。この章では、実際にそうした活動を行っているアーティストを集め少ないながら統計を示しています。</p>
<div id="attachment_1814" class="wp-caption alignnone" style="width: 610px"><img class="size-large wp-image-1814" title="「第９章　千人の忠実なファンの反例」より" src="http://s.takahashifumiki.com/wp-content/uploads/2011/12/IMG_0804-600x190.png" alt="「第９章　千人の忠実なファンの反例」より" width="600" height="190" /><p class="wp-caption-text">「第９章　千人の忠実なファンの反例」より</p></div>
<p>この表からケリー氏が導き出した結論は以下のようなものでした。</p>
<blockquote><p>「忠実なファン」への直接販売で全ての生活費を稼いでいる人はごくわずかである。そのわずかな人は、CDのような低価格の商品ではなく、絵画のような高価な商品を販売している。</p>
<p><cite>前掲書「第９章　千人の忠実なファンの反例」</cite></p></blockquote>
<p>これは確かに頷けるところがあります。「生計を立てる」となると、年齢にもよりますが、最低でも年間300万〜600万円ぐらいのレンジは超えていないとどうしようもありません。1000人程度のファンで考えた場合、一人あたりの利用金額は3000〜6000円／年となります。これぐらいなら使えるかなーという額ですね。</p>
<p>ただし、消費者としての自分の人生で振り返ってみると、これだけの額を払ったのは電気GROOVEだけですし、それも13歳〜22歳の9年間だけでした。となると、当然単価の高いものを出している制作者の方が「千人の忠実なファン」モデルに向いていることになります。また、ある程度コンスタントに作品を発表することも求められます。</p>
<p>これは作家・漫画家・ミュージシャンなどにとってあまりよくない結果でしょう。ミュージシャンは「ライブ」という高価な商品（マドンナはこれで成功したと言われてますね）がありますが、作家・漫画家といった印刷メディアの住人には難しいところがあります。ここら辺はヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』なども併せて読んでおきたいところです。</p>
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<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%AB-%E4%BB%96%E4%BA%94%E7%AF%87-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB%E2%80%95%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%A4%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%81%AE%E4%BB%95%E4%BA%8B-%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC-%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%A4%E3%83%9F%E3%83%B3/dp/4003246322%3FSubscriptionId%3D0Q5JKQGKGX1PM5K1CPG2%26tag%3Dtakahashifumiki-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4003246322" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/518IcW9Q8hL._SL160_.jpg" border="0" alt="ボードレール 他五篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)" /></a></p>
<p><em>価格: </em>￥ 882</p><p><em>著者: </em>ヴァルター ベンヤミン, 野村 修</p><p><em>出版社: </em>岩波書店</p><p><em>出版日: </em>1994-03-16</p><p><em>商品カテゴリー: </em>文庫</p><p><em>ページ数: </em>357</p><p><em>ISBN: </em>4003246322</p>
<hr class="tmkm-amazon-clear" />
</div>
<h3>どれぐらいのファンがいればいいのか</h3>
<p>ケリー氏は「忠実なファン」をこのように定義します。</p>
<blockquote><p>「忠実なファン」とは、あなたが創作したものを何でもかんでも購入する人のことである。</p>
<p><cite>前掲書「第2章　千人の忠実なファン」</cite></p></blockquote>
<p>なんでもかんでも購入してくれるファンを作るのは結構難しいです。ぼくが電気GROOVEに対してお金を払ったことは書きましたが、それはあくまで9年間の間です。最近も電気GROOVEが出した（いい意味で）クソみたいなiPhoneアプリを買いましたが、「そもそも最近は買うべきものが余りない」というのも「お金を落とさない（せない）」一つの理由ではあります。制作者側の立場からしても、常に作り続けられるわけではありません。</p>
<p>こうしたことを鑑みると、「常に最低で千人は忠実なファンがいる」というのは、意外と高いハードルです。文芸の世界でいうと、本を出して必ず1万部売れる作家がいたら、それはかなりいい作家のはずです。有名な作家でも初版3万部とかですからね。そういう意味で1000人というのはけして少なくない数です。「それができるなら既存のメディアでも成功しているだろ」と思う人もいることでしょう。</p>
<p>ただし、アーティストのような職業はもともとそんなに楽なものではないし、儲かるものでもないというのは昔から変わりません。「インターネット時代になって食えるようになる作家」のパターンとしては、初版では3000部しか売れない作家、そこそこ売れるけど諸々の諸事情により書籍を出し続けられない作家、売れるけど出版社としてリスキーな作風の作家、コンテンツはそれほど魅力的ではないが人として魅力的な作家といったあたりでしょうか。ファンの人数は単価によって変える必要があります。単価が安い制作者（ぼくのように電子書籍を100円で売ったりする場合）は、10,000人ぐらいファンがいないとやっていけないでしょうね。</p>
<p>既存のメディアにはないレスポンシビリティ（受け手によってコンテンツを最適化するなど）がインターネットの魅力ではありますので、それをどう打ち出していくかが目下の課題です。</p>
<p>個人的に難しいと思うのは、「獲得したファンとの関係をいかに保つか」です。ぼくは生まれながらにしてファンサービスをしない人種なので、ここをどうにかしたいですね。正月に実家に帰ったら、母親になぜ自分がこんな風に育ってしまったのかを質問しようと思います。</p>
<h2>終りに</h2>
<p>なんか長くなりそうなので、ひとまずは筆を置きます。このように、『<a href="http://tatsu-zine.com/books/kk1" target="_blank">ケヴィン・ケリー著作集１</a>』は大変示唆に富んだ書物なので、みなさんも是非読んでみてください。個人的には、<a href="http://tatsu-zine.com/" target="_blank">達人出版会</a>さんのように専門性を打ち出したコンテンツアグリゲーターにはがんばってもらいたいです。</p>
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		</item>
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		<title>ねむれニッポン</title>
		<link>http://takahashifumiki.com/literature/reading/1332/</link>
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		<pubDate>Fri, 01 Apr 2011 17:22:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>高橋文樹</dc:creator>
				<category><![CDATA[読書日記]]></category>
		<category><![CDATA[旅]]></category>

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		<description><![CDATA[何か人々を勇気づけるようなことを書かねばならないと気負ったまま三週間が経過し、ついにエイプリルフールも過ぎてしまいました。 アメリカ西部開拓時代、凄まじい災難に全てを失い、それでもなお生き残った男の物語を書いて読んだ人を [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>何か人々を勇気づけるようなことを書かねばならないと気負ったまま三週間が経過し、ついにエイプリルフールも過ぎてしまいました。</p>
<p>アメリカ西部開拓時代、凄まじい災難に全てを失い、それでもなお生き残った男の物語を書いて読んだ人を勇気づけようと思っていたのですが、やっぱり違うなと気づきました。僕はそもそも人を勇気づける類いの人間ではないのです。結局のところ、焦らせたり、不安にさせたりする方が得意なのだ……というのが僕の懺悔です。</p>
<p>自分の無力を噛み締めながら、僕がいま何をしているかというと、金子光晴の『どくろ杯』を読んでいます。『どくろ杯』は金子夫妻の上海紀行の旅程を記した本です。どん底にいた貧乏詩人金子とその不貞の妻森三千代の道中が独特の筆致で綴られています。とにかくひどい話です。</p>
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<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%81%A9%E3%81%8F%E3%82%8D%E6%9D%AF-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%87%91%E5%AD%90-%E5%85%89%E6%99%B4/dp/4122044065%3FSubscriptionId%3D0Q5JKQGKGX1PM5K1CPG2%26tag%3Dtakahashifumiki-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4122044065" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/415GB0G1R3L._SL160_.jpg" border="0" alt="どくろ杯 (中公文庫)" /></a></p>
<p><em>価格: </em>￥ 760</p><p><em>著者: </em>金子 光晴</p><p><em>出版社: </em>中央公論新社</p><p><em>出版日: </em>2004-08</p><p><em>商品カテゴリー: </em>文庫</p><p><em>ページ数: </em>297</p><p><em>ISBN: </em>4122044065</p>
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</div>
<p>なぜ僕が『どくろ杯』を読んでいるかというと、冒頭部に関東大震災直後のことが綴られていたのを思い出したから。関東大震災はいわずとしれた大災害ですが、常々「縞状力学」を提唱し、現在と大正時代の類似点が気になってしかたがない僕にとっては今こそ読み直す作品でした。時間的に前後するところはありますが、好況、不況、震災、恐慌……という流れがにわかに思い起こされます。</p>
<p>金子は関東大震災についてこう書いています。</p>
<blockquote><p>この瞬間以来、明治政府が折角築きあげて万代ゆるぎないつもりの国家権力のもとで、心をあずけて江都以来の習性になったあなたまかせで安堵していた国民が、必ずしもゆるぎのない地盤のうえにいるのではなかったということを、おぼろげながらも気が付きはじめたようにみえた。<cite>金子光晴『どくろ杯』中公文庫, 1976年, P.10</cite></p></blockquote>
<p>3月11日以降で世界は変わってしまったと思っている人は多いと思います。住んでいる地域にもよるとは思いますが、いずれにせよ、同じ気持ちでは生きられないと僕は感じています。</p>
<p>金子は<q cite="金子光晴『どくろ杯』中公文庫, 1976年, P.10">私の不器用な旅のきっかけは、遡って、あの地震の頃にはじまったということができる</q>と書いています。そして、帰ってきた金子を待っていたのは、恐慌の後に訪れた先の大戦でした。金子は息子の兵役を拒否するために、松葉で息子をいぶして喘息にさせたそうです。</p>
<p>不安を煽っても仕方ないのですが、この先の日本がどうなっていくのか、注意深く耳を澄ませつつ、今は静かに眠ろうかなと思います。被災された方はとても快適に眠れないだろうとは思いますが、それでもやっぱり眠った方が、ずっといいはず。</p>
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<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%81%AD%E3%82%80%E3%82%8C%E5%B7%B4%E9%87%8C-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%87%91%E5%AD%90-%E5%85%89%E6%99%B4/dp/412204541X%3FSubscriptionId%3D0Q5JKQGKGX1PM5K1CPG2%26tag%3Dtakahashifumiki-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D412204541X" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/4101B0MK83L._SL160_.jpg" border="0" alt="ねむれ巴里 (中公文庫)" /></a></p>
<p><em>価格: </em>￥ 840</p><p><em>著者: </em>金子 光晴</p><p><em>出版社: </em>中央公論新社</p><p><em>出版日: </em>2005-06</p><p><em>商品カテゴリー: </em>文庫</p><p><em>ページ数: </em>354</p><p><em>ISBN: </em>412204541X</p>
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</ol></p>]]></content:encoded>
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		<title>もうすぐ絶滅するという紙の書物について語るエーコがついでにダン・ブラウンをDISる</title>
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		<pubDate>Fri, 04 Mar 2011 01:00:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>高橋文樹</dc:creator>
				<category><![CDATA[読書日記]]></category>
		<category><![CDATA[イタリア文学]]></category>
		<category><![CDATA[出版]]></category>
		<category><![CDATA[印刷]]></category>
		<category><![CDATA[言語]]></category>
		<category><![CDATA[電子書籍]]></category>

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		<description><![CDATA[かなり前ですが、「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」という本をジャケ買いならぬ装丁買いをしたので、その感想を書きます。 帯に書いてある「電子書籍」はほとんど出てこない まず、この本の帯に「紙の本は、電子書籍に駆逐さ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_1301" class="wp-caption alignleft" style="width: 310px"><a href="http://s.takahashifumiki.com/wp-content/uploads/2011/03/R0010557-e1299244159883.jpg"><img src="http://s.takahashifumiki.com/wp-content/uploads/2011/03/R0010557-e1299244159883-300x225.jpg" alt="もうすぐ絶滅するという紙の書物について" title="もうすぐ絶滅するという紙の書物について" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-1301" /></a><p class="wp-caption-text">もうすぐ絶滅するという紙の書物について</p></div>
<p>かなり前ですが、「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」という本をジャケ買いならぬ装丁買いをしたので、その感想を書きます。</p>
<h2>帯に書いてある「電子書籍」はほとんど出てこない</h2>
<p>まず、この本の帯に「紙の本は、電子書籍に駆逐されてしまうのか？」と書いてあり、タイトルもあれなので、てっきり電子書籍本かと思ってしまいますが、あんまり関係ありません。ちょろっと触れているところもありますが、基本はウンベルト・エーコとジャン＝クロード・カリエール（フランス人映画脚本家）の古書コレクション自慢話です。そういう点で、電子書籍本だと期待して買うと後悔するかもしれません。</p>
<p>もっとも僕が買った目黒の文教堂だったかどこだかでは「海外文学」の棚に刺さっていたので、間違えて買う人も少ないかもしれませんが。</p>
<p>基本的にエーコおよびカリエールの態度は以下に挙げるように「書物というものは車輪と同じように完成された発明品である」という意見が繰り返されます。</p>
<blockquote><p>物としての本のバリエーションは、機能の点でも、構造の点でも、五百年前となんら変わっていません。本はスプーンやハンマー、鋏と同じような物です。一度発明したら、それ以上うまく作りようがない。<cite>ウンベルト・エーコ, ジャン＝クロード・カリエール「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」2010, 阪急コミュニケーションズ, P.24</cite></p></blockquote>
<p>ただ、面白いのは「自宅が火事になったらどうするか」という質問に対し、エーコがこんな風に答えているところですね。</p>
<blockquote><p>書物の話をさんざんしておいてなんですが、私の場合、今まで書いたもののすべてが入っている、二五〇ギガの外付けハードディスクを持って逃げますね。<cite>前掲書, P.59</cite></p></blockquote>
<p>エーコはかなり早くからパソコン使って原稿を書いていたりしたらしく、そういう意味では割り切って新しいものを取り入れていってるみたいですね。ちなみに僕は自分の書いたすべての原稿をMacbook + <a href="http://www.dropbox.com/">Dropbox</a> + TimeMachineで<a href="http://timesoftware.free.fr/timemachineeditor/">3時間ごと</a>に<a href="http://www.sky-s.net/sky-blog/archives/2010/04/25-230923.php">ネットワークHDDにバックアップ</a> + 最終稿を印刷して天袋に保存しているので、自宅が全焼してDropboxが潰れない限りは大丈夫でしょう。</p>
<h3>グーテンベルク以降と以前</h3>
<p>書物とはいったい何なのかという根源的な問題を考える上で、グーテンベルクによる活版印刷術の発明以降と以前を比較するのはとても有効だと思うんですが、そうしたことに関するヒントが幾つか得られます。マクルーハンなどにもちょろっと言及しているので、そういうことに興味がある人は以前言及した「<a title="「グーテンベルクからグーグルへ」を読んで" href="http://takahashifumiki.com/literature/reading/738/">グーテンベルクからグーグルへ</a>」と併せてオススメです。</p>
<p>また、世界に48冊しかないという古書マニア垂涎の「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/グーテンベルク聖書">グーテンベルク聖書</a>」が日本に１冊ある話なんかも出てきます。今慶應大学のサイト<a href="http://www.humi.keio.ac.jp/treasures/incunabula/B42-web/b42/html/index_jp01.html">慶應本グーテンベルク聖書</a>で公開されているので、見てみると面白いかもしれません。パッと見、一昔前のテキストサイトみたいな見映えですが、内容は本物ですよ。</p>
<h3>博覧強記のエーコもダン・ブラウンは嫌い？</h3>
<p>基本的にこの本はエーコとカリエールの博学に「へー」っと感心しながら読むものなのですが、何度かダン・ブラウンをDISる（といっても、軽く揶揄する程度）場面がありました。</p>
<p>やっぱり、ダン・ブラウンを一躍世界的作家にした「ダヴィンチ・コード」はエーコの「薔薇の名前」とネタ的にかぶるところがあったから、嫌いなんですかね。</p>
<p>そいうえば、先日J-Waveを聞いていたら、「レディー・ガガがマドンナの曲をパクった」という話題が出ていて、それについてクリス・ペプラーが「マドンナはわりと寛容だけど、レディ・ガガは自分とキャラがかぶっているから許さないかも」というようなことを言っていました。ここら辺、下衆の勘繰りかもしれませんが、エーコとて人の子かという感じです。</p>
<h2>装丁がかっこいい</h2>
<p>さて、この本を買ったのは装丁がかっこよかったからです。黒いカバーに銀箔押し＋ウンベルト・エーコというだけでもかっこいいのですが、写真にあるように、小口の部分が青く塗られているんですね。</p>
<div id="attachment_1303" class="wp-caption alignleft" style="width: 160px"><a href="http://s.takahashifumiki.com/wp-content/uploads/2011/03/R0010561-e1299244309304.jpg"><img src="http://s.takahashifumiki.com/wp-content/uploads/2011/03/R0010561-e1299244296984-150x100.jpg" alt="カバーを外しても黒字に銀" title="カバーを外しても黒字に銀" width="150" height="100" class="size-thumbnail wp-image-1303" /></a><p class="wp-caption-text">カバーを外しても黒字に銀</p></div>
<div id="attachment_1302" class="wp-caption alignleft" style="width: 160px"><a href="http://s.takahashifumiki.com/wp-content/uploads/2011/03/R0010559-e1299244204209.jpg"><img src="http://s.takahashifumiki.com/wp-content/uploads/2011/03/R0010559-150x100.jpg" alt="小口の部分が青い" title="小口の部分が青い" width="150" height="100" class="size-thumbnail wp-image-1302" /></a><p class="wp-caption-text">小口の部分が青い</p></div>
<div id="attachment_1304" class="wp-caption alignleft" style="width: 160px"><a href="http://s.takahashifumiki.com/wp-content/uploads/2011/03/R0010563-e1299244356757.jpg"><img src="http://s.takahashifumiki.com/wp-content/uploads/2011/03/R0010563-150x100.jpg" alt="1ページずつ染まり具合が違う" title="1ページずつ染まり具合が違う" width="150" height="100" class="size-thumbnail wp-image-1304" /></a><p class="wp-caption-text">1ページずつ染まり具合が違う</p></div>
<div id="attachment_1305" class="wp-caption alignleft" style="width: 160px"><a href="http://s.takahashifumiki.com/wp-content/uploads/2011/03/R0010564-e1299244456518.jpg"><img src="http://s.takahashifumiki.com/wp-content/uploads/2011/03/R0010564-e1299244430511-150x100.jpg" alt="このランダム加減がモノっぽい" title="このランダム加減がモノっぽい" width="150" height="100" class="size-thumbnail wp-image-1305" /></a><p class="wp-caption-text">このランダム加減がモノっぽい</p></div>
<p class="clrL">しかもこれ、インクに浸したような感じでランダムな塗り方になってます。一ページごとに違うんですね。どうやって作るのかは知りませんが、束に束ねてインク壷に浸すんでしょうか。手作業でやってたら面白いですね。何万部も売れる本じゃないだろうから、手作業でもいけるのかもしれません。</p>
<p>今の時代、文字情報は必ずしも本でなくてもよくなりました。Webは巻物みたいで見辛いという意見をたまに目にしますが、巻物と冊子の違いが出ないぐらい短い文章等も世にはありますので、書物の特権が剥奪されたことは間違いありません。ある程度のボリュームを持った本はこれからより「物っぽさ」をまとって、差別化を図っていくことでしょう。これからは装丁に凝った本が増えてくるんじゃないでしょうか。装丁に凝った本がずらりと並ぶ書店というのを想像すると、革命前夜というか、<q cite="太宰治「右大臣実朝」">明ルサハ滅ビノ姿デアロウカ</q>というか、胸がソワソワしますね。</p>
<p>というわけで、ご興味ある方はご一読を。</p>
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<p><em>価格: </em>￥ 2,940</p><p><em>著者: </em>ウンベルト・エーコ, ジャン=クロード・カリエール</p><p><em>クリエーター: </em>工藤 妙子</p><p><em>出版社: </em>阪急コミュニケーションズ</p><p><em>出版日: </em>2010-12-17</p><p><em>商品カテゴリー: </em>単行本</p><p><em>ページ数: </em>472</p><p><em>ISBN: </em>4484101130</p>
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		<title>「グーテンベルクからグーグルへ」を読んで</title>
		<link>http://takahashifumiki.com/literature/reading/738/</link>
		<comments>http://takahashifumiki.com/literature/reading/738/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 01 Nov 2009 17:55:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>高橋文樹</dc:creator>
				<category><![CDATA[読書日記]]></category>
		<category><![CDATA[出版]]></category>
		<category><![CDATA[編集]]></category>
		<category><![CDATA[言語]]></category>
		<category><![CDATA[評論]]></category>

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		<description><![CDATA[朝日新聞の書評にも取り上げられた書物「グーテンベルクからグーグルへ」をやっとこさ読み終えました。 書名も頭韻を踏んでいて完璧なのですが、メディアの歴史を考える上で欠かせないグーテンベルクからグーグルまでを含んでいる非常に [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>朝日新聞の書評にも取り上げられた書物「グーテンベルクからグーグルへ」をやっとこさ読み終えました。</p>
<p>書名も頭韻を踏んでいて完璧なのですが、メディアの歴史を考える上で欠かせないグーテンベルクからグーグルまでを含んでいる非常に浩瀚な書物でした。</p>
<p>今年読んだ本の中でもベスト3に入ります。</p>
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<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%81%B8%E2%80%95%E6%96%87%E5%AD%A6%E3%83%86%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E5%8C%96%E3%81%A8%E7%B7%A8%E9%9B%86%E6%96%87%E7%8C%AE%E5%AD%A6-%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC-%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0/dp/4766416716%3FSubscriptionId%3D0Q5JKQGKGX1PM5K1CPG2%26tag%3Dtakahashifumiki-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4766416716" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51sT326nrbL._SL160_.jpg" border="0" alt="グーテンベルクからグーグルへ―文学テキストのデジタル化と編集文献学" /></a></p>
<p><em>価格: </em>￥ 3,360</p><p><em>著者: </em>ピーター シリングスバーグ</p><p><em>クリエーター: </em>明星 聖子, 大久保 譲, 神崎 正英</p><p><em>出版社: </em>慶應義塾大学出版会</p><p><em>出版日: </em>2009-09-25</p><p><em>商品カテゴリー: </em>単行本</p><p><em>ページ数: </em>353</p><p><em>ISBN: </em>4766416716</p>
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<p>さて、本書が述べるのは、副題「文学テキストのデジタル化と編集文献学」にもある通り、ITテクノロジーと「編集文献学」という耳慣れない学問の関わりについてです。</p>
<p>職業はなんでもいいのですが、文学に携わる仕事についていて、テクノロジーの発達に対していくばくかのアイデンティティ・クライシスあるいは使命感を覚えている人は読んでおいた方がいいでしょう。</p>
<p>内容については非常にふむふむと知的好奇心をそそられます。</p>
<p>以下、引用します。</p>
<blockquote><p>「テキストの質」という表現はいささか曖昧である。これは、作品の質について、つまり、内容やスタイルの長所について、述べてもいるようにも取れるからだ。先に示唆したように、グーテンベルクが自分の発明の最初の実演材料として聖書を選択したことは優れた着眼点だったといえる。なぜなら、自分の新たな生産手段を、社会的かつ商業的に重要な価値を持つ本と同じ地位に置くことができたからだ。<cite>前掲書、P.30</cite></p></blockquote>
<blockquote><p>もし人が老いることも死ぬこともないのなら、新しい標準が誕生してそれが普及し、統一された一揃いの完全な機能つき編集ツールの開発を待ってもいいだろう。そうではない以上、とりあえず現時点で持っているものを受け入れざるを得ない。<cite>前掲書、P.155-156</cite></p></blockquote>
<blockquote><p>一八四二年、ドイツ・ライプツィヒのベルンハルト・タウフニッツ男爵が、冒険的な出版事業に乗り出した。そして、この事業は最終的に、第二次世界大戦の一〇年後、一九五五年まで続くことになった。彼はこの事業を「英国作家集成」と名づけ、戦争勃発時までに五三七二の作品を出版しており、その多くを、事業が継続している間、絶版にしなかった。これに比肩する規模の企てを探そうと思えば、二〇世紀のランダム・ハウスのモダン・ライブラリー、エブリマンズ・ライブラリー、そしてペンギンやオクスフォードの古典シリーズに目を向けねばならない。同時代には、男爵に匹敵する、継続的な競争相手はいなかった。<cite>前掲書、P.179-180</cite></p></blockquote>
<blockquote><p>学術編集を行う動機に関する以下の考察は、私の懺悔のようなものだ。すなわち、私が胸に抱き、そして捨ててきた、編集を行う理由である。最初の理由は、学術版の編集は、うぬぼれや、編集の重要性についての思い違いのようなものから遂行されるのかもしれないということだ。A・E・ハウスマンの例を参照することから始めてみてもよいだろう。よく知られているように、彼は自分が三流の作家だと思うものを選び、より完璧な作品でありより永続的なモニュメントであるものを作り出すために編集した——一流の作家は、完璧に編集するには、難しすぎるという理由で。<cite>前掲書、P.230</cite></p></blockquote>
<blockquote><p>西に航海して中国にたどり着くというコロンブスの遠大な計画は、多くの反対を受けたと信じられてきた。地球は平らだと信じる人々が、コロンブスは海の端から落下してしまうといって反対してきたのだ、と。しかし、これはまったくの間違いなのだ。エーコによれば、地球平面説は、中世において、非常に少数の人々によって信じられていたに過ぎなかった。中世には地球平面説が支配的だったという考えは、一九世紀末に広まったものだ。一八九七年に刊行された、粗雑だが影響力の大きな書物がその現況だという。エーコによれば、コロンブスは地球平面説とは異なった、しかし同じくらい重大な誤解に基づいて航海に出たのだという。彼は、地球が実際よりもはるかに小さいと信じていたのだ。エーコ曰く、したがって、コロンブスの計画への反対は、むしろ賢明な人々から提出されたのだ。彼らには、西回り航路で中国に向かうルートが既知の東回りルートの代替になるには遠すぎるということがわかっていたからだ、と。だが、エーコの論点で重要なのはここからだ。「〔コロンブスに反対した〕これらサラマンカの賢明な人々は、正しかったけれど、間違っていた。そしてコロンブスは、間違っていたけれども、信念を持って自らの誤解を貫いた結果、正しいことが証明された——セレンディピティのおかげで」<cite>前掲書、P.279-280</cite></p></blockquote>
<p>とまあ、色々示唆に富むことが書かれているので、オススメです。それと、やっぱりウンベルト・エーコは凄いですね。</p>
<h3>「グーテンベルクからグーグルへ」の隠れた重要性</h3>
<p>で、この本はそれだけでも面白いのですが、この本が邦訳されたことの最大の価値は、訳者あとがきにあります。</p>
<p><a href="http://takahashifumiki.com/literature/367/">梅田望夫的絶望</a>、なぜこの本が日本文学研究者ではなく外国文学研究者によって翻訳されたか、なぜ日本の「文学全集」は政府が金を出さずに私企業のビジネスの一環としてなされているのか、そして、その私企業に過ぎない日本の出版社はGoogleの一元的な支配に対して異論を差し挟むどんな根拠を持っているのか。</p>
<p>この本からはいろんなことが読み取れます。</p>
<p>実にタイムリーな悩みを吐露している明星先生にあっぱれですね。</p>
<p>ところで、訳者あとがきで「この本が翻訳されたきっかけはカフカだった」ということが明かされるのですが、この部分はこの書物の白眉です。</p>
<p>個人的には池内紀先生がこの本を読んで、どう思うのかということを知りたいです。</p>
<p>今は出版界激変の時代ですが、<cite title="フランツ・カフカ著、池内紀訳「カフカ短編種」1987年、岩波文庫、P.12">「ほかの誰ひとり、ここには入れない。この門は、おまえひとりのためのものだった。さあ、もう俺は行く。ここを閉めるぞ」</cite>なんて言われないようにがんばりたいですね。</p>
<p>だってそれは、「村を挙げての仕事」だから。</p>
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<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%AB%E7%9F%AD%E7%AF%87%E9%9B%86-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%AB/dp/4003243838%3FSubscriptionId%3D0Q5JKQGKGX1PM5K1CPG2%26tag%3Dtakahashifumiki-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4003243838" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51N4BQ1ZG9L._SL160_.jpg" border="0" alt="カフカ短篇集 (岩波文庫)" /></a></p>
<p><em>価格: </em>￥ 756</p><p><em>著者: </em>カフカ</p><p><em>クリエーター: </em>池内 紀</p><p><em>出版社: </em>岩波書店</p><p><em>出版日: </em>1987-01-16</p><p><em>商品カテゴリー: </em>文庫</p><p><em>ページ数: </em>276</p><p><em>ISBN: </em>4003243838</p>
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</ol></p>]]></content:encoded>
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		<title>文学と政治の距離感はもうちょっと近くてもいいと思った</title>
		<link>http://takahashifumiki.com/literature/397/</link>
		<comments>http://takahashifumiki.com/literature/397/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 16 Dec 2008 18:41:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>高橋文樹</dc:creator>
				<category><![CDATA[文芸活動]]></category>
		<category><![CDATA[読書日記]]></category>
		<category><![CDATA[政治]]></category>
		<category><![CDATA[評論]]></category>

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		<description><![CDATA[僕は大江健三郎さんが好きだということを日ごろ公言していますが、よくある大江氏批判の一つに氏の政治性を挙げる人がいます。２ちゃんねるなんかでも大江氏のスッドレはコピペの嵐に巻き込まれることがあります。 大江氏は確かに政治的 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>僕は大江健三郎さんが好きだということを日ごろ公言していますが、よくある大江氏批判の一つに氏の政治性を挙げる人がいます。２ちゃんねるなんかでも大江氏のスッドレはコピペの嵐に巻き込まれることがあります。</p>
<p>大江氏は確かに政治的にうかつな発言をしてしまうこともあったと、氏を尊敬する僕でも思うことがあります。時に整合性を欠くこともあったでしょう。その不整合性が「小説家だから」ということで許されていいとも思いません。しかし、それでもなお、小説家は政治的な発言をすべきだと思います。</p>
<p>なんで急にこんなことを思ったかというと、本日、秋葉原の無差別殺傷事件に関連して出版された『ロスジェネ別冊2008』渋谷のBook 1stで購入したからであります。</p>
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<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D-%E5%88%A5%E5%86%8A-2008%E2%80%95%E8%B6%85%E5%B7%A6%E7%BF%BC%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3/dp/4780302161%3FSubscriptionId%3D0Q5JKQGKGX1PM5K1CPG2%26tag%3Dtakahashifumiki-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4780302161" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/61Q2BvLQilL._SL160_.jpg" border="0" alt="ロスジェネ 別冊 2008―超左翼マガジン" /></a></p>
<p><em>価格: </em>￥ 630</p><p><em>出版社: </em>ロスジェネ</p><p><em>出版日: </em>2008-10</p><p><em>商品カテゴリー: </em>単行本</p><p><em>ページ数: </em>63</p><p><em>ISBN: </em>4780302161</p>
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<p>ちょっと今さら感もありますが、ふと思いついて購入し、さっき読み終えました。新潮新人賞の先輩にあたる浅尾大輔さんや、同期の大澤信亮さん、文学フリマではじめてご挨拶した杉田俊介さん、そして、「『丸山真男』をひっぱたきたい――希望は、戦争。」で一躍時の人となった赤木智弘さん、ロスジェネ界隈では有名人の雨宮処凛さん、そして、東浩紀さんらがパネルディスカッションに参加されていました。</p>
<p>読了して、僕が意外に思ったのは、東浩紀さんの発する言葉がかなり真摯なものとして感じられたからです。</p>
<p>東さんは文芸評論家として様々な文芸誌に寄稿していますが、僕にはイマイチ説得的なものと思えませんでした。というより、不勉強を棚に上げて、適当にやってるんじゃないかとさえ思っていました。これは「動物化するポストモダン」を読んだときもそうでしたし、最近の「田中-高橋論争」について読んだときもそうでした。</p>
<p>ところが、東さんの言葉は「ロスジェネ別冊2008」の中では、妙に切迫しています。</p>
<blockquote><p>そうなんですよ。僕はそこをけっこう本気で悩んでいる。<br />
第一に、人々が尊厳を持つべきだという命法は、いまの世の中ではすごく抑圧的に働きます。尊厳を持った人間として生きろ、というのは正しいように見えて、僕は危険だと思っている。では第二に、尊厳を持っていなくて、ただ、だらだらと生きているやつをどう肯定するか。そのときに、僕は富の問題は解決できると思う。解決できるというか、解決するように世の中を設計することは、みんなで一生懸命頑張ればたぶんできるんじゃないかと思う。だから、それはほかの人が考えてくれるということで横に置いたとして、では本当にそれで人間が生きていけるんだろうか。これは『動物化するポストモダン』（注37）以来ずっと考えています。赤木さんが言ったように、たとえば「２次元で満足できるようになればいけるんじゃないの」と言っている人はいます。でも本当にそれもそうかどうかわからない。僕はわからないです。<br />
<cite title="出典">浅尾大輔他著『ロスジェネ別冊2008　秋葉原無差別テロ事件　「敵」は誰だったのか？』かもがわ出版、2008、p.41-42</cite></p></blockquote>
<p>こういう、真摯な言葉を読んで、2つのことを思いました。</p>
<ol>
<li>東浩紀さんが語りたいこと、語れることの多くは文学の側にはないということ</li>
<li>それはつまり、文学があまりにもそういうものから離れてしまったということ</li>
</ol>
<p>東さんが文芸誌に寄稿しているのは、単に彼が批評家だからだと僕は思っています。これは、東氏に限りません。</p>
<p>これまでのメディアの歴史が長い間出版物に寄添って育ってきたから、たんに批評家が言及することが多かっただけであり、その結果として文芸評論というジャンルが生まれのです。</p>
<p>言を変えれば、批評をするにあたって、必ずしも文学を主題にする必要はありません。ニコニコ動画とか、ポスターとか、語るべきものはたくさんあります。たまたま、文学に才能が結集していた時間が長く続いたから、すぐれた批評家としての文芸評論家がたくさんいたということでしかありません。</p>
<p>そもそも僕がなぜ純文学（というのは、文学とは純文学のことに他ならないからです）なんかをやっているかというと、一つの理由からだけではありません。それが表現の形式として、多くのことを語れるからです。優れた文学者というのは、なんにせよ、一言でいいつくせない言葉を発します。大江氏もそうですし、芥川龍之介や中島敦もそうです。美しい言葉をつむぐけれども、それだけではない。一夜の夢物語を聞かせてくれるけれども、それだけではない。理知的な言葉の建築物を見せてくれるけれども、それだけではない。<strong>それだけではなさ</strong>が表現形式として優れているか否かを決めるのです。そして、文学にはまだ<strong>それだけではなさ</strong>があるはずです。</p>
<p>僕は大江氏が知識人たらんとしたことを、自我肥大などではなく、表現者としての自覚として褒め称えたいと思います。所詮、文学ばっかりやってる人間ですから、無知をなじられることもあるでしょう。が、言葉を生業としている人間が、言葉を発することに臆病になっている場合ではないと思います。恐れないことで、その言葉には<strong>それだけではなさ</strong>が宿ります。</p>
<p>アマチュアリズムを恐れないこと。それが知識人の条件だと言ったのは、サイードでしたっけ。</p>
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<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E7%9F%A5%E8%AD%98%E4%BA%BA%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B-%E5%B9%B3%E5%87%A1%E7%A4%BE%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BBW-%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%89/dp/4582762360%3FSubscriptionId%3D0Q5JKQGKGX1PM5K1CPG2%26tag%3Dtakahashifumiki-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4582762360" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51B17ZSYA8L._SL160_.jpg" border="0" alt="知識人とは何か (平凡社ライブラリー)" /></a></p>
<p><em>価格: </em>￥ 882</p><p><em>著者: </em>エドワード・W. サイード</p><p><em>クリエーター: </em>Edward W. Said, 大橋 洋一</p><p><em>出版社: </em>平凡社</p><p><em>出版日: </em>1998-03</p><p><em>商品カテゴリー: </em>単行本</p><p><em>ページ数: </em>235</p><p><em>ISBN: </em>4582762360</p>
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<p>というわけで、僕自身もそうですが、小説家は批判を恐れずに政治的な発言をすべきだと思いました。また、政治的な発言をできない小説家は、たとえその本が売れたとしても、文学として評価されるべきではないとありません。でないと、優れた批評家が文芸評論家を兼ねることはこのさき無いと思います。ただ、安っぽい覚悟でしか言葉を発することのできない<em>書評家</em>が小林秀雄の子孫のような顔をして跋扈するだけです。優れた批評家は、文学とは関係の無い場所でも新しい小林秀雄や江藤淳になることができるのです。</p>
<h3>今日の結論</h3>
<p>で、昨今のロスジェネ的な問題が一筋縄では行かないということはよくわかりました。</p>
<p>世代間格差に陥りがちなこの議論を不毛なものにしないために、なかなか無限になってくれない資本ではなく、もしかしたら無限かもしれない「承認サプライ」について考えることも魅力的に思えました。</p>
<p>とりあえず、「生活レベルを落とすのは難しい」という俗説について一考の余地ありというのが、僕の結論です。右肩上がりではなく、「未熟な者として生まれ、ある程度成熟し、最後は未熟に死ぬ」というピラミッド型の人生をいかにして受け入れることができるのかという問題について考えたいと思います。</p>
<p>とりあえず、マズローから入ってみよう。</p>
<p>ちなみに、僕は政治的に右か左かと問われれば、当然左です。小さい頃、母親に連れられて成田闘争に参加したりしましたが、そういったノスタルジーを差し引いても、ただその国に生まれただけで、異邦人を馬鹿にするような風潮は嫌いです。ここらへんは、他人の言葉を引用して終えます。</p>
<blockquote><p>ナショナリズムの理論家たちは、しばしば、次の三つのパラドックスに面くらい、ときにはいら立ちをおぼえてきた。その第一は、歴史家の客観的な目には国民（ネーション）が近代的現象とみえるのに、ナショナリストの主観的な目にはそれが古い存在とみえるということである。その第二は、社会的文化概念としてのナショナリティ〔国民的帰属〕が形式的普遍性をもつ――だれもが男性または女性として特定の性に「帰属」しているように、現代世界ではだれもが特定の国民（ナショナリティ）に「帰属」することができ、「帰属」すべきであり、また「帰属」することになる――のに対し、それが、具体的にはいつも、手の施しようのない固有さをもって現れ、そのため、定義上、たとえば「ギリシア」というナショナリティは、それ独自の存在となってしまうということである。そしてその第三は、ナショナリズムのもつあの「政治的」影響力の大きさに対し、それが哲学的に貧困で支離滅裂だということである。<span class="alert">中略</span>つまり、国民（ネーション）と国民主義（ナショナリズム）は、「自由主義」や「ファシズム」の同類として扱うよりも、「親族」や「宗教」の同類として扱ったほうが話は簡単なのだ。<cite title="出典">ベネディクト・アンダーソン著、白石隆・白石さや訳「定本　想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行」書籍工房早山、2007、P.22-24</cite></p></blockquote>
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<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E5%AE%9A%E6%9C%AC-%E6%83%B3%E5%83%8F%E3%81%AE%E5%85%B1%E5%90%8C%E4%BD%93%E2%80%95%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90%E3%81%A8%E6%B5%81%E8%A1%8C-%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%86%92%E9%99%BA2%E6%9C%9F4-%E3%83%99%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3/dp/488611508X%3FSubscriptionId%3D0Q5JKQGKGX1PM5K1CPG2%26tag%3Dtakahashifumiki-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D488611508X" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51SysZEv4WL._SL160_.jpg" border="0" alt="定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険2期4)" /></a></p>
<p><em>価格: </em>￥ 2,100</p><p><em>著者: </em>ベネディクト・アンダーソン</p><p><em>クリエーター: </em>Benedict Anderson, 白石 隆, 白石 さや</p><p><em>出版社: </em>書籍工房早山</p><p><em>出版日: </em>2007-07</p><p><em>商品カテゴリー: </em>単行本</p><p><em>ページ数: </em>396</p><p><em>ISBN: </em>488611508X</p>
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</div>
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		<item>
		<title>「対談・日本語の危機とウェブ進化」について思ったこと</title>
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		<pubDate>Sun, 07 Dec 2008 14:24:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>高橋文樹</dc:creator>
				<category><![CDATA[文芸活動]]></category>
		<category><![CDATA[読書日記]]></category>
		<category><![CDATA[フランス文学]]></category>
		<category><![CDATA[日本語]]></category>
		<category><![CDATA[言語]]></category>
		<category><![CDATA[評論]]></category>

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		<description><![CDATA[このブログでも何度か言及している水村美苗さんの「日本語が亡びるとき　英語の世紀の中で」(以下、本書)ですが、Web上での反響は凄まじく、一種の「国語論」として受け止められている感があります。 僕も多くの方と同じように、こ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>このブログでも何度か言及している水村美苗さんの「<a href="http://takahashifumiki.com/literature/17">日本語が亡びるとき　英語の世紀の中で</a>」(以下、本書)ですが、Web上での反響は凄まじく、一種の「国語論」として受け止められている感があります。<br />
僕も多くの方と同じように、この本を興味深く読んだのですが、「自分がそうである」という以下の二点からこの本がとってもタイムリーだったので、ごく個人的な観点から感想を述べたいと思っていました。</p>
<ul>
<li>日本語でしか書かない純文学の作家であること</li>
<li>Web業界に身を置いていること</li>
</ul>
<p>で、おりよく新潮1月号に水村美苗氏と「Web進化論」の梅田望夫氏の対談が載っていたので、本書とあわせてまとめてみます。</p>
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<p class="tmkm-amazon-title"><a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E6%BD%AE-2009%E5%B9%B4-01%E6%9C%88%E5%8F%B7-%E9%9B%91%E8%AA%8C/dp/B001LIOO7U%3FSubscriptionId%3D0Q5JKQGKGX1PM5K1CPG2%26tag%3Dtakahashifumiki-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB001LIOO7U" target="_blank">新潮 2009年 01月号 [雑誌] <small>[書籍]</small></a></p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E6%BD%AE-2009%E5%B9%B4-01%E6%9C%88%E5%8F%B7-%E9%9B%91%E8%AA%8C/dp/B001LIOO7U%3FSubscriptionId%3D0Q5JKQGKGX1PM5K1CPG2%26tag%3Dtakahashifumiki-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB001LIOO7U" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41aX2XrmLbL._SL160_.jpg" border="0" alt="新潮 2009年 01月号 [雑誌]" /></a></p>
<p><em>価格: </em>￥ 1,000</p><p><em>出版社: </em>新潮社</p><p><em>出版日: </em>2008-12-06</p><p><em>商品カテゴリー: </em>雑誌</p>
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</div>
<h3>文学における日本語の問題</h3>
<p>とりもなおさず、本書は文学者である水村美苗さんの書いたものです。そういう意味では、以下に挙げる第三章までに本書の独自性がもっとも顕著であるといえるでしょう。</p>
<ol>
<li>アイオワの青い空の下で＜自分たちの言葉＞で書く人々</li>
<li>パリでの話</li>
<li>地球のあちこちで＜外の言葉＞で書いていた人々</li>
</ol>
<p>文学における<strong>国語</strong>の問題というのは、古くて新しいものであり、とりわけ近代文学というものは常に<strong>国語</strong>と寄添っていました。</p>
<p>近年ノーベル文学賞の受賞者の多くを亡命した書き手や被植民地の書き手が占めていることからもわかるように、幾つかの<strong>国語</strong>、つまり支配的言語(英語・フランス語・ドイツ語)を中心として成り立ってきた近代文学を揺るがすような文学が最近の流行です。ノーベル章の候補になるような<em>世界文学</em>の権勢は以下のような感じになっているんじゃないでしょうか。<span class="alert">ちょっとズレがあるかもしれません。</span></p>
<p><strong>第二次大戦以前（フランス語）→　～1970年(英語)　→　～1990年(南米のスペイン語)　→　～2000年(クレオール)</strong></p>
<p>とはいえ、これはノーベル賞がローカルなところへも脚光を当てようとしているからそうなっているだけの話であり、世間一般はそうではありません。</p>
<p>対談でも述べられているジュンパ・ラヒリの例を挙げるまでもなく、ヒンディー語などというローカルな国語で書くよりは、英語というグローバルな国語で書いた方が成功を手にする確率は高いのが現状です。</p>
<p>たとえば、この間芥川賞を受賞した楊逸さんやリービ・秀雄さんのように、日本語で書くことを選ぶ非日本人も少なからずいます。また、多和田葉子さんのように、日本語以外で書くことができるグローバルな日本人作家もいます。そういう意味で、日本語というのはまだまだ大きな地位を占めています。</p>
<p>しかし、カズオ・イシグロさんのことを考えてみます。日本で生まれ、日本語を捨てた作家が、世界的な名声を博している。日本語で書く作家の未来は少し薄暗いものになります。が、その闇は近代文学に差す影でしかないのです。僕はまだ29歳の作家なので、その薄暗い未来の向こう側にあるものについて考えたいと思います。</p>
<h3>インターネットが文学に与える問題</h3>
<p>言語帝国主義的競争において英語が圧倒的な勝利を収めようとしているのは当面の事実として、それをIT技術が後押ししているというもことまた、悲しいかな事実です。</p>
<p>これはプログラミング言語が英語をベースにしたパソコンへの命令文であるという仕様に基づいています。ざっと挙げただけでも、以下のような問題があるのではないでしょうか。</p>
<ul>
<li>プログラミング言語習得が大変</li>
<li>アルファベットとは文字コードが違う</li>
<li>情報資源の総数が少ない</li>
<li>上記すべてに起因する、開発コストの増大</li>
</ul>
<p>要するに、技術は遅れて入ってくるし、がんばってもショボいものしか作れない可能性が高くなります。また、対談で挙げられていた<cite title="新潮2009年1月号">「公共という概念の欠如」(P.348)</cite>もあるでしょう。たとえば、どんなプログラミング言語にもユーザグループというものがあるのですが、だいたい英語です。日本語の会もありますが、あまり活発ではありません。ちょっと込み入った問題になると、「本家で聞け」「英吾のマニュアル読め」という展開になりがちです。人も集まりにくいのでしょう。</p>
<p>こういうことを考えると、小飼弾氏がこんなことを言うのもうなずけます。</p>
<blockquote><p>日本語を護る最良の方法は、何か。<br />
日本語以外の言語、すなわち英語以外の言語も共に護る、という方法である。<br />
なぜ私がJcodeでは満足できなかったかといえば、「日本語だけ護る」のでは日本語を護り切れなかったからだ。だから、英語が第一言語であった故 Nick Ing-Simmons から Encode を「引き取った」。プログラマーとしては数段劣る私がそれに踏み切ったのは、彼より強い危機感を持っていたからに他ならない。そして Encode を引き取るということは、日本語のみならず、英語以外の言語を全て引き取ることだった。<br />
そして Perl 5.8 が Release された。私はここでやっと枕を高くして眠れるようになったのだ。<br />
<a href="http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51136258.html"><cite title="404 Blog Not Found">404 Blog Not Found「今世紀最重要の一冊 &#8211; 書評 &#8211; 日本語が亡びるとき」</cite></a></p></blockquote>
<p>小飼さんはPerlという色んなところで使われているプログラミング言語が色んな言語をサポートできるようにしたというらしいんですが、プログラマーとしては実に正しいことだと思います。<span class="alert">あと、思ったことをきちんとした形にするのも偉いです。</span></p>
<p>とまあ、IT業界では日本語があることが開発者にとってネックになります。いっそのこと、全部英語でやってしまった方が楽なぐらいなので、若いプログラマーはキャリア・アップのために日本語を捨てる人も増えて行くでしょう。このスピードは文学よりもずっと早いはずです。ここら辺の経緯は、以下の本に詳しいです。</p>
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<p class="tmkm-amazon-title"><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%8B-%E8%A5%BF%E5%9E%A3-%E9%80%9A/dp/4000221078%3FSubscriptionId%3D0Q5JKQGKGX1PM5K1CPG2%26tag%3Dtakahashifumiki-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4000221078" target="_blank">インターネットで日本語はどうなるか <small>[書籍]</small></a></p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%8B-%E8%A5%BF%E5%9E%A3-%E9%80%9A/dp/4000221078%3FSubscriptionId%3D0Q5JKQGKGX1PM5K1CPG2%26tag%3Dtakahashifumiki-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4000221078" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51QQ580HHFL._SL160_.jpg" border="0" alt="インターネットで日本語はどうなるか" /></a></p>
<p><em>価格: </em>￥ 2,100</p><p><em>著者: </em>西垣 通, ジョナサン ルイス</p><p><em>クリエーター: </em>Jonathan Robert Lewis</p><p><em>出版社: </em>岩波書店</p><p><em>出版日: </em>2001-03-26</p><p><em>商品カテゴリー: </em>単行本</p><p><em>ページ数: </em>250</p><p><em>ISBN: </em>4000221078</p>
<hr class="tmkm-amazon-clear" />
</div>
<p>上記のような点を考えると、水村さんや梅田さんが絶望感を感じるのはむべなるかな、と感じます。僕もWeb業界にしかいなかったら、もっと熱心に英語にコミットしていたでしょう。</p>
<p>が、本書を読んでやや違和感を覚えるのは、次の二点です。</p>
<ul>
<li>近代文学という大文字の文学はまだ有効なのか</li>
<li>ITのいいところを文学も利用していくべきじゃないか</li>
</ul>
<p>IT技術がどうしようもなく文学に影響を与えるのは仕方のないこととして、それを対岸から押し寄せる波と捉えるのではなく、文学の側からも波を送れるのではないか。僕はそう考えています。</p>
<h3>今後やったらいいと思うこと</h3>
<p>というわけで、僕は日本の国語教育に物申すのではなく、自分にできることをコツコツやっていこうと思います。できることは今のところ、二つ。<strong>ITの利用</strong>と<strong>近代文学の喪の作業</strong>です。</p>
<h4>ITの利用</h4>
<p>これは破滅派ですでに実践していることですが、もっとラジカルに推し進めて行きたいと思ってます。ただし、この先数年間は、流通・製本などのバックエンドに注力しようかと考えています。</p>
<p>当然、技術的に精通するための勉強も欠かせません。純文学に資本が投入されるのは恐らく最後の方なので、自分たちでやるしかありません。あるいは、技術力を持った人を説得する必要があります。</p>
<p>幾つかの有名なリトル・プレスがもはやミニコミとは呼べないぐらいに大きくなっているのは周知の事実ですが(ex.<a href="http://www.freetersfree.org/">フリーターズフリー</a>)、既存の流通ルートに載るというよりは、贅肉のない筋肉質かつスマートな運営団体として、文芸の存続を目指して行きます。</p>
<p>ともすると、後ろ向きに捉えられるかもしれません。ローカルな現地語へと日本語文学を後退させていいのか、と。が、これは事業としての文芸を問うモデルケースです。対談では<cite title="新潮2009年1月号">「高速道路」(P.347)</cite>と表現されていた出版モデルが断固として存在する以上、爆発的な成功は見込めませんが、あるとき、シーソーが傾くようにして、大成功が訪れると思います。この点、さしさわりがあるので詳しくは書きません。</p>
<p>とにかく、現状の出版社がWebに大きくシフトすることはまだ考えづらいですが、あと20年も経てば環境は激変しているだろうことは確かです。</p>
<h4>近代文学の喪の作業</h4>
<p>水村さんの言っている文学というのは、夏目漱石を筆頭にする近代文学のことであります。夏目漱石が国語の教科書に載る載らないでワーワー世間が騒ぐことからもわかるように、大文字の文学はまだ生きています。</p>
<p>水村さんが批判する80年代以降の文学というのは、大文字の文学という文脈から切断している(ように見える)文学のことだと思います。が、若い作家が大文字の文学のことを何も考えていないかというと、そうでもないわけです(ただ単にそういう人が有名でないということもありますが)。</p>
<p>これは「俺こそがまさにそうだ！」と言っているのではなく、そういう人も少しはいるということです。大文字の文学がまだ滅びたわけではなく、とはいえ楽観視もできない現状では、次のような文学的態度がありえます。</p>
<ul>
<li>ものすごい頑張れば、近代文学のスネをかじって大文字の文学者となることもまだできます。少なくとも、自分が死ぬまでの間ぐらいは。</li>
<li>ものすごいがんばれば、大文字の文学からまったく自由に書くこともできます。それで名声を博することもできますし、もしかしたらお金持ちにもなれます。少なくとも、自分が死ぬくらいまでの間は。</li>
</ul>
<p>上記のどちらの関わり方も否定はしません。別にやったらいいと思います。が、僕は個人的に「近代文学をきちんと葬り去ること」が必要なのではないかと思っています。</p>
<p>この思いは破滅派で発表した<a href="http://hametuha.com/syoko/genre/series/hakobune">方舟謝肉祭</a>にも込めました。国家称揚と手を携え、日本語の地位向上を目指す過酷な言語帝国主義的レースに参加するのは、たしかに男子一生の仕事に足るかもしれません。が、多重言語者でもなく、言語的な葛藤を持っていない僕がそのレースに参加しても、大した成果も得られないでしょうし、喜ぶ人も少ないでしょう。</p>
<p>というわけで、これから訪れるだろう日本語文学の暗い未来に備え、僕は近代文学の喪の作業を続けたいと思います。具体的になにをやるかは、まとまってません。「文学は終わった！」とか叫んでもしょうがないし。</p>
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</ol></p>]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>ディエゴ・マラーニ『通訳』を読んでやる気を出してみる。</title>
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		<pubDate>Sun, 05 Oct 2008 16:42:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator>高橋文樹</dc:creator>
				<category><![CDATA[創作]]></category>
		<category><![CDATA[文芸活動]]></category>
		<category><![CDATA[読書日記]]></category>
		<category><![CDATA[イタリア文学]]></category>
		<category><![CDATA[言語]]></category>

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		<description><![CDATA[今書いている小説は、言語に関するものです。が、ぜんぜんはかどりません。というのは、最近よく感じることなんですが、脳味噌が小説向きの動き方をしていないのです。 偉そうな意見ではありますが、小説を書くには、小説向きの思考にな [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>今書いている小説は、言語に関するものです。が、ぜんぜんはかどりません。というのは、最近よく感じることなんですが、脳味噌が小説向きの動き方をしていないのです。</p>
<p>偉そうな意見ではありますが、小説を書くには、小説向きの思考になっていなくてはなりません。よく言われるように、とつぜん天啓が降りてきて書けるわけではなく、アスリートが「なんだか今日は調子がいい」と思うように、スラスラと小説を書けるときが来るのです。</p>
<p>で、最近の日常は創作とは程遠く、端的に机の前に座ってじっくりと考える時間が少ないからのような気がします。こうやってWebサイトを作り、情報を発信していくことを重要だとは思いますが、なによりも内容を作らなくてはしょうがないわけです。</p>
<p>日々追い立てられることがあって、ものすごく待望されているという状況にもなれないまま、小説を産みだして行くのは難しいなあと感じる今日この頃です。心は焦り、焦るからこそ凡庸な思考しか出てこないという悪循環。</p>
<p>そういうときに役立つのは他人の書いた小説を読むこと。</p>
<p>しかしながら、一日に一冊読むような時間も取れないし、取材のために読んでいる本がとても大いので、ちょっとずつしか読めません。いま読んでいるのはこれ。</p>
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<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E9%80%9A%E8%A8%B3-%E6%B5%B7%E5%A4%96%E6%96%87%E5%AD%A6%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%82%B4-%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8B/dp/4488016480%3FSubscriptionId%3D0Q5JKQGKGX1PM5K1CPG2%26tag%3Dtakahashifumiki-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4488016480" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41IN5eWVofL._SL160_.jpg" border="0" alt="通訳 (海外文学セレクション)" /></a></p>
<p><em>価格: </em>￥ 2,415</p><p><em>著者: </em>ディエゴ マラーニ</p><p><em>クリエーター: </em>Diego Marani, 橋本 勝雄</p><p><em>出版社: </em>東京創元社</p><p><em>出版日: </em>2007-12</p><p><em>商品カテゴリー: </em>単行本</p><p><em>ページ数: </em>270</p><p><em>ISBN: </em>4488016480</p>
<hr class="tmkm-amazon-clear" />
</div>
<p>これはまあ、変な本なんですが、作者のディエゴ・マラーニという人がもっと変です。EUの通訳をやっていたときに、ユーロパントという人工言語を考案して、それで短編集を出したりしたそうです。</p>
<p>そんな短編集を出せるということは、すなわちヨーロッパ諸語がすべて近しいものだからでしょう。スペイン人とイタリア人同士がお互いの言っていることをなんとなく理解できるのもそうだし、文法の基本はほとんど一緒。津軽弁と沖縄弁ほどは違わない、と言っても過言ではないでしょう。</p>
<p>とはいえ、やはりこの人の小説に対する着想は卓抜しているし、それで小説を構成できるのはやはり凄いと思います。小説というのは、言葉に寄り添って創られるものだからこそ、言葉そのものを題材にするのは難しくかんじます。</p>
<p>ちなみに、ぼくは「キャラクターが動き出して物語が勝手に展開されていく」という言を信じていません。また、そういうことを言う小説家で尊敬できる人が一人もいなかったからです。</p>
<p>なんにせよ、小説を書くための生活を手に入れようとしすぎて、小説が書けなくなってしまうという今のジレンマをなんとかすべきですね。兼業作家はどうやって書いているのか、ほんとに気になります。</p>
<h4>追記</h4>
<p>読了しました。設定はやや衒学的ですが、途中から馬鹿ミステリーっぽい展開になってなかなか楽しめました。最近読んだ小説の中では出色の出来でした。ユリイカで若島正さんが進めていたんですが、氏の博学には敬服します。</p>
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<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A4%E3%82%AB2008%E5%B9%B43%E6%9C%88%E5%8F%B7-%E7%89%B9%E9%9B%86-%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%96%87%E5%AD%A6/dp/4791701755%3FSubscriptionId%3D0Q5JKQGKGX1PM5K1CPG2%26tag%3Dtakahashifumiki-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4791701755" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/517hpd-COML._SL160_.jpg" border="0" alt="ユリイカ2008年3月号 特集=新しい世界文学" /></a></p>
<p><em>価格: </em>￥ 1,300</p><p><em>出版社: </em>青土社</p><p><em>出版日: </em>2008-02</p><p><em>商品カテゴリー: </em>ムック</p><p><em>ページ数: </em>245</p><p><em>ISBN: </em>4791701755</p>
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		<title>文芸作品としてのコード、コードとしての文芸作品</title>
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		<pubDate>Thu, 21 Aug 2008 02:04:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>高橋文樹</dc:creator>
				<category><![CDATA[Web制作]]></category>
		<category><![CDATA[プログラミング]]></category>
		<category><![CDATA[文芸活動]]></category>
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		<category><![CDATA[Javascript]]></category>
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		<description><![CDATA[最近、『Code Reading　オープンソースから学ぶソフトウェア開発技法』という本を買った。ソフトウェア開発をする仕事をしているわけでもなく、本書で紹介されているJavaやC++のプログラマーでもないので、あんまり自 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>最近、『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html?ie=UTF8&amp;location=http%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2FCode-Reading%25E2%2580%2595%25E3%2582%25AA%25E3%2583%25BC%25E3%2583%2597%25E3%2583%25B3%25E3%2582%25BD%25E3%2583%25BC%25E3%2582%25B9%25E3%2581%258B%25E3%2582%2589%25E5%25AD%25A6%25E3%2581%25B6%25E3%2582%25BD%25E3%2583%2595%25E3%2583%2588%25E3%2582%25A6%25E3%2582%25A7%25E3%2582%25A2%25E9%2596%258B%25E7%2599%25BA%25E6%258A%2580%25E6%25B3%2595-%25E3%2583%2588%25E3%2583%2583%25E3%2583%2597%25E3%2582%25B9%25E3%2582%25BF%25E3%2582%25B8%25E3%2582%25AA%2Fdp%2F4839912653%3Fie%3DUTF8%26s%3Dbooks%26qid%3D1219279134%26sr%3D8-1&amp;tag=takahashifumiki-22&amp;linkCode=ur2&amp;camp=247&amp;creative=1211">Code Reading　オープンソースから学ぶソフトウェア開発技法</a><img style="border:none !important; margin:0px !important;" src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=takahashifumiki-22&amp;l=ur2&amp;o=9" border="0" alt="" width="1" height="1" />』という本を買った。ソフトウェア開発をする仕事をしているわけでもなく、本書で紹介されているJavaやC++のプログラマーでもないので、あんまり自分と関係のない本だったのだけれど、立ち読みしたときに序論が気になったので買うことにした。</p>
<p>本書の主旨は、「オープンソースソフトウェアには優れたコードがたくさん含まれており、それを読むことはよりよいプログラマーになるための必須条件だ」というものである。で、以下に気になる序論を紹介する。</p>
<blockquote><p>文芸作品としてのソフトウェアが存在し得ないのは、この世界で所有権が絶対的な力を振るってきたからです。これは言わばメルビル（Herman Merville）社の社員だけが『白鯨』を読むことを許され、ヘミングウェイ（Ernest Hemingway）社の社員だけが『陽はまた昇る』を読むことを許されるようなものです。こんな環境で豊かな文学が育つと思いますか？　このような状況下で文学部など存在するはずもありませんし、ましてや文章作法などが生まれるはずがありません。こうした背景をそのまま認めた上で人々にプログラミングを学んで欲しいと思うのは欲張りというものです。<cite>Diomidis Spinellis著・（株）トップスタジオ訳『Code Reading　オープンソースから学ぶソフトウェア開発技法』、P.3、（株）毎日コミュニケーションズ、2004年</cite></p></blockquote>
<p>まったくもってその通り、と言いたくなるような内容である。文学では時としてオリジナリティが喧伝されることはあっても、基本的には「模倣によってよりよいものを産みだしていく」というのが共通認識だろう。二葉亭四迷が最初に着手したのはロシア文学の翻訳だし、ありきたりな言葉でいえば、言葉とはそもそも借り物だからだ。</p>
<p>ただ、この本に興味を持ったのは、引用した序論に深く共感したからではなく、コードが文芸作品になぞらえることができるのなら、文芸作品もまたコードになぞらえて捉えることができるのではないかと思ったからだ。</p>
<h3>オブジェクトとしてのテクスト</h3>
<p>さて、プログラミングの世界には、<strong>オブジェクト指向</strong>という考え方がある。僕も完全に理解しているわけではないのだけれど、これはあるプログラムの塊を一つのオブジェクト（砕けた訳をすれば「モノ」だろうか）として考える手法である。</p>
<p>これだけだと意味がわからないのだけれど、噛み砕いて言うと、大規模なソフトウェアを開発するにあたって、一連の処理を「部品」として再利用したり拡張したりする必要性があったために新しく作られた概念である。それまでのプログラムというのは、すべてが一連の手続きとしてなりたっており、その一部を抜き出しても他のプログラムで動かないということが多かったそうである。</p>
<p>ところで、文芸作品はテクストから成り立っている。本は線的に進んで行くものであるというのは一般的な概念だ。ロラン・バルトなど、一部の作家は断章形式でテキストを書いたりしているが、ごく一般的な小説というと、あくまで線的なものとして考えられているのではないだろうか。</p>
<p>では本当にそうかというと、あたかもオブジェクトのように使われている一節というものがある。それは引用という形で現れる。ちょっと手元にないので出典を明らかにできないのが甚だ不正確で申し訳ないのだけれど、泉鏡花の『歌行灯』にこんな一節がある。</p>
<blockquote><p>おい、可愛い人だな。殺されても死んでも、人の玩弄物（おもちゃ）になるな</p></blockquote>
<p>これは太宰治によって「死んでも人の玩弄物（おもちゃ）になるな」と引用され、さらに綿矢りさによって孫引きされたことで話題を呼んだ一節である。</p>
<p>引用には間テクスト性（参考：<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%93%E3%83%86%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%88%E6%80%A7"><cite>Wikipedia</cite></a>）などとジュリア・クリステヴァが言ったりするように、特別な力があるとは思う。でもそれは現実に行われている引用の実際を表してはいない。論文や哲学書などと異なり、小説の中の引用は単なる決め台詞として扱われていることが多いのではないだろうか。</p>
<p>こうした「決め台詞としての引用」に対し、僕は非常に懐疑的な見方をしているのだけれど、それはそれとしておいといて、「コードとしての文芸作品」というこの記事の題に則して考えると興味深い。</p>
<p>そもそもオブジェクト指向というのは、ある一塊のプログラムをブラックボックスにする。入力するべき引数があって、それに対して結果は返ってくるけれど、どういう仕組みで返ってくるのかは詳らかにしないという考えである。そう考えると、「決め台詞としての引用」というのは、まさにテクストをオブジェクトとして扱っているといえるのではないだろうか。そのテクストが孕んでいるものよりは、そのテクストの効果を主眼にする。</p>
<p>もっとも、こうしたことは昔から行われていたわけで、オブジェクト指向などという概念があるより先にあった。そんなことを世紀の大発見のように喚きたてる意図もない。</p>
<p>それよりも興味があるのは、プログラムによってテクストが生成できる現実が近づきつつあるのではないか、ということだ。変数やデータ型、メタデータなどの概念を援用すれば、文芸作品の聖性が明らかになるような気がする。それが小説家たらんとする僕にとってほんとうに幸せなことかはわからないけれども。</p>
<p>ちょっと色々はしょり過ぎた感があるけれども、もうちょっとプログラミングを勉強してから、なにか文芸活動にいかせるよう頑張ろう。</p>
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<p><em>価格: </em>￥ 5,460</p><p><em>著者: </em>トップスタジオ, まつもと ゆきひろ, 平林 俊一, 鵜飼 文敏</p><p><em>出版社: </em>毎日コミュニケーションズ</p><p><em>出版日: </em>2004-06-01</p><p><em>商品カテゴリー: </em>単行本</p><p><em>ページ数: </em>523</p><p><em>ISBN: </em>4839912653</p>
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		<title>水村美苗の「日本語が亡びるとき」を読んだ</title>
		<link>http://takahashifumiki.com/literature/17/</link>
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		<pubDate>Sat, 09 Aug 2008 15:56:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>高橋文樹</dc:creator>
				<category><![CDATA[創作]]></category>
		<category><![CDATA[文芸活動]]></category>
		<category><![CDATA[読書日記]]></category>
		<category><![CDATA[日本語]]></category>
		<category><![CDATA[言語]]></category>

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		<description><![CDATA[今のところ、僕の家には毎月文芸誌『新潮』が送られてくる。文芸誌というのは、なかなかボリュームがあり、目を通さないまま放っておいてしまうこともしばしばだけれど、今月送られてきた『新潮2008年9月号』には同世代の作家として [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>今のところ、僕の家には毎月文芸誌『新潮』が送られてくる。文芸誌というのは、なかなかボリュームがあり、目を通さないまま放っておいてしまうこともしばしばだけれど、今月送られてきた『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html?ie=UTF8&amp;location=http%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2F%25E6%2596%25B0%25E6%25BD%25AE-2008%25E5%25B9%25B4-09%25E6%259C%2588%25E5%258F%25B7-%25E9%259B%2591%25E8%25AA%258C%2Fdp%2FB001D16GDK%2F&amp;tag=hametuha-22&amp;linkCode=ur2&amp;camp=247&amp;creative=1211">新潮2008年9月号</a><img style="border:none !important; margin:0px !important;" src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=hametuha-22&amp;l=ur2&amp;o=9" border="0" alt="" width="1" height="1" />』には同世代の作家として気になる青木淳吾の「このあいだ東京でね」という中篇が発表されていたので、読んでみようと思って三軒茶屋のドトールに携えて行った。</p>
<p>ところが、実際に読んだのは<em>水村美苗</em>の「<strong>日本語が亡びるとき</strong>――英語の世紀の中で」という長編評論で、これが色々と考えさせられて面白かった。掲載されていたのは本編7章のうち冒頭3章で、秋には筑摩書房から発売するらしい。買おうと思う。</p>
<h4>簡単な説明</h4>
<p>「<strong>日本語が亡びるとき</strong>」という挑発的なタイトルは、著者の水村氏のバックグラウンドによる。</p>
<blockquote><p>ご存知の方もいるかもしれないが、私は十二歳で父親の仕事で家族とともにニューヨークに渡り、それ以来ずっとアメリカにも英語にもなじめず、親が娘のためにともってきた日本語の古い小説ばかり読み日本に恋いこがれたまま、なんと二十年もアメリカに居続けてしまったという経歴の持ち主である。<cite>水村美苗、「日本語が亡びるとき――英語の世紀の中で」、『新潮』2008年9月号所収、新潮社、P.128</cite></p></blockquote>
<p>「<strong>日本語が亡びるとき</strong>」は水村氏がIWP(International Writing Program)という国際作家の交流プログラムに参加するところから始まって、大江健三郎の『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html?ie=UTF8&amp;location=http%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2F%25E3%2580%258C%25E9%259B%25A8%25E3%2581%25AE%25E6%259C%25A8-%25E3%2583%25AC%25E3%2582%25A4%25E3%2583%25B3%25E3%2583%25BB%25E3%2583%2584%25E3%2583%25AA%25E3%2583%25BC-%25E3%2580%258D%25E3%2582%2592%25E8%2581%25B4%25E3%2581%258F%25E5%25A5%25B3%25E3%2581%259F%25E3%2581%25A1-%25E6%2596%25B0%25E6%25BD%25AE%25E6%2596%2587%25E5%25BA%25AB-%25E5%2581%25A5%25E4%25B8%2589%25E9%2583%258E%2Fdp%2F4101126151%3Fie%3DUTF8%26s%3Dbooks%26qid%3D1218295399%26sr%3D1-4&amp;tag=hametuha-22&amp;linkCode=ur2&amp;camp=247&amp;creative=1211">雨の木（レインツリー）を聞く女たち</a><img style="border:none !important; margin:0px !important;" src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=hametuha-22&amp;l=ur2&amp;o=9" border="0" alt="" width="1" height="1" />』のように思えるのだけれど、主旨としてはサブタイトルにもあるように、英語の一極集中主義の時代における日本文学のあり方についての評論である。</p>
<h4>考えたこと</h4>
<p>僕は大学時代に言語学の授業を取っていて、そのときに<em>言語帝国主義</em>について学んだ。藤原書店から出ていた『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html?ie=UTF8&amp;location=http%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2F%25E8%25A8%2580%25E8%25AA%259E%25E5%25B8%259D%25E5%259B%25BD%25E4%25B8%25BB%25E7%25BE%25A9%25E3%2581%25A8%25E3%2581%25AF%25E4%25BD%2595%25E3%2581%258B-%25E4%25B8%2589%25E6%25B5%25A6-%25E4%25BF%25A1%25E5%25AD%259D%2Fdp%2F4894341913%3Fie%3DUTF8%26s%3Dbooks%26qid%3D1218295754%26sr%3D1-1&amp;tag=hametuha-22&amp;linkCode=ur2&amp;camp=247&amp;creative=1211">言語帝国主義とは何か</a><img style="border:none !important; margin:0px !important;" src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=hametuha-22&amp;l=ur2&amp;o=9" border="0" alt="" width="1" height="1" />』という本を買い、まとまらないなりに、日本語で文学をやることの意味について考えた憶えがある。「<strong>日本語が亡びるとき</strong>」はその頃からストップしていた思考をもう一度考えさせてくれる評論だった。</p>
<p>「<strong>日本語が亡びるとき</strong>」のテーマはIWPに関して言及している以下の一節に象徴されている。</p>
<blockquote><p>私はくり返し思った。<br />
人はなんとさまざまな条件の元で書いているのであろうか。<br />
だが、さらにくり返し思った。<br />
人はなんとさまざまな言葉で書いているのか。<br />
そして、その思いは、作家たちと一緒にいるあいだに、どんどんと深まるばかりであった。人が地球のあらゆるところで書いていたり、金持ちの国でも貧乏な国でも書いていたり、言論の自由を抑圧されながら書いていたりする事実には、しだいに慣れていった。だが、人がかくもさまざまな言葉で書いているという事実は、最後まで驚きであった。<cite>前掲書、P.145</cite></p></blockquote>
<p>そもそも僕は言葉で書くということについて、深く考えたいと思っていて、実際に深く考えていたつもりだった。で、四年ほど前、実際に書くことに関する小説を書いた。それはまだ陽の目を見ていないが、いつか出版できたらと考えているぐらい大事な小説だ。</p>
<p>ところが、最近はWebの勉強ばかりしていて、書くことという自分にとってのっぴきならないことについて考えることを忘れていた。「<strong>日本語が亡びるとき</strong>」は僕に考えることを促し、以下のような問いを思い出させてくれた。</p>
<ul>
<li><q>多重言語者</q>（<cite>前掲書</cite>より借用）の知識人という像はいまなお有効なのだろうか？　そしてまた、小説家がそのタイプの知識人を兼ねることは、現代において有効なのだろうか？</li>
<li>言語の多様性を守ることはほんとうに人間にとって幸せなことなのだろうか？</li>
<li><q>亡びゆく日本語</q>（<cite>前掲書</cite>より借用）を母語とする人間はどのような文学的営みを続けるべきなのだろうか？　美学を貫く保守主義者としてか、それとも悲壮な融和主義者としてか？</li>
<li>たとえばカフカのように言語的分裂を経験していない自分（カフカはユダヤ人だが、イディッシュ語ではなくドイツ語で書いた）がそうした問いを問うことに意味はあるのだろうか？</li>
<li>数学のように<q>普遍語</q>（<cite>前掲書</cite>より借用）たらんとするWebのプログラミング言語（PHPとかJavascriptとか）を勉強するのは、自分にとって危険なことじゃないか？</li>
</ul>
<p>とまあ、大体以上のようなことを考えたわけだが、ひさびさに実りある読書となった。とりわけ、この本を読んだ日にバイリンガルの外国人と話をしたことも、思考を促すきっかけとなったのかもしれない。うーん、今後の身の降りについても、色々と考えなくちゃいけないな。</p>
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</ol></p>]]></content:encoded>
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